覚え書:「特集ワイド:近藤勝重の世相をみる 「がん哲学外来」創始者・樋野興夫さん」、『毎日新聞』2015年12月11日(金)付夕刊。

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特集ワイド
近藤勝重の世相をみる 「がん哲学外来」創始者・樋野興夫さん

毎日新聞2015年12月11日 東京夕刊


(写真キャプション)「がんになりやすい人は認知症になりにくいし、逆も真なり、というイタリアの論文をもとに、講演で『どちらがいい?』と聴衆に尋ねることもあります。病気をユーモラスに語れる社会にしたいんです」=丸山博撮影


病気になろうとも、病人にならないで

 日本人の2人に1人ががんになり、3人に1人ががんで死ぬ。一方、がん告知を受けた人の約3割がうつ的症状に陥るとされる。治療法に迷い再発や転移に不安を抱える患者や家族たちとの対話を掲げ、「がん哲学外来」を約8年前に創設した樋野興夫・順天堂大医学部教授(61)に、近藤勝重・客員編集委員が聞いた。がんと共に生きるこの時代、がんを通して見えてきたものとは。【まとめ・小国綾子】

近藤 患者を救う「言葉の処方箋」

 近藤 「がん哲学外来」とはどんなものですか。

 樋野 今の医療現場は患者の治療に手いっぱいで、患者や家族の心の苦しみを軽減することにまで手が回りません。医療現場と患者との隙間(すきま)を埋めようと2008年1月、順天堂医院に無料の「がん哲学外来」を期間限定で設けたのがきっかけです。

 今では一般社団法人化され、医療関係者やボランティアらが担い手となり、病院での外来形式から、くつろいだ雰囲気のメディカルカフェ方式まで、全国約80カ所に広がっています。

 近藤 私も20年前、胃がんと宣告されました。私は医者に恵まれたが、周囲には医者の態度に傷ついた患者さんも多い。「ねえ先生、パソコンよりも私診て」なんて川柳まであります。

 樋野 医者はまだまだ馬の上から花を見ています。馬から下り、患者と同じ目線に立って花を見る必要があります。「がん哲学外来」では1人の患者さんの面談に30分から1時間程度の時間を取りますよ。

 近藤 なぜ「哲学」?


お茶を飲みながら和やかな雰囲気でがんについて語らう医者(左から2人目)と患者たち。メディカルカフェは全国に広がりつつある=大阪府守口市で2014年10月、村上尊一撮影
 樋野 欧米では死の恐怖などを癒やす「スピリチュアルケア」が存在します。しかし、日本ではこれらを支える宗教的なバックボーンが弱い。だから「スピリチュアル」よりも「哲学」という言葉の方が良いだろう、と考えました。

 近藤 日本でもがん告知が一般的になりましたが、最近の医者はズバッと言い過ぎではないでしょうか。

 樋野 確かに最近の医者は病状や余命宣告を重く言う傾向がある。病状が急変しても、遺族に非難されないように。

 また、日本の医学部教育には「対話学」が存在せず、患者との対話の仕方を知らない医師も少なくない。患者との対話では正論より配慮が求められるのですが。患者と医者に信頼関係があれば、同じ話であっても患者が傷つくのを少しでも避けられます。何を言われたかより、誰に言われたかが大きいのです。

 近藤 「がん哲学外来」では、カウンセラーのように患者の話を「傾聴」するのですか。

 樋野 いえ、傾聴だけでは、がん患者は癒やされません。患者たちは担当医から先端の治療法や副作用について説明を受けています。しかしその治療を受けるべきなのかどうか、心持ちの方が定まらないのです。

 だから、不安な気持ちをただ聴くだけでは、患者はやはり救われない。私は最初は聞き役に回りますが、その後はいろいろなことを問いかけます。「あなたの大切な居場所はどこだと感じていますか」「どうすれば残された人生を充実させられると思いますか」と。

 私の尊敬する新渡戸稲造内村鑑三の言葉、聖書の言葉を引くこともある。

 1回の面談で、一人一人の人生の土台を見つけ出す手伝いをします。中には「人生と向き合うきっかけを得られて、病気になってよかった」と言う患者さんもいます。

 近藤 まさに「言葉の処方箋」ですね。

 樋野 ええ。「言葉の処方箋」は無料で副作用もない。私たちの外来にきた人は、対話の前より後の方が良い表情で帰られます。

 近藤 近著の題名「明日この世を去るとしても、今日の花に水をあげなさい」(幻冬舎)も、患者さんに贈る言葉だとか。

 樋野 ええ。神学者マルティン・ルターが言ったとされている言葉「もし明日世界が終わるとしても、私は今日もリンゴの木を植えるでしょう」を私なりにもじった言葉です。末期の患者さんであっても、枕元に咲く花を世話することはできますから。

 自分の病気のことばかり考えるのではなく、自分以外の他者(=リンゴ、花)に関心を持つこと。そうすれば自分のなすべきことが見えてきますよ、とお話ししています。

 ところで、若いネズミと年寄りのネズミにがん細胞を植えた時、どちらが早くがん細胞が広がるか知っていますか。

 近藤 若い方では。人間でも若い方ががんの進行は早いと言われているから。

 樋野 実は逆です。細胞増殖期の若いネズミは正常細胞が増えるお陰で、がん細胞の増殖を抑えられる。逆に年寄りネズミは正常細胞が増えないから、がん細胞が増えてしまう。要は、周囲の細胞がしっかりしていれば、がんの成長を抑えられるということです。

 そもそも、潜在がんは人々が思っている以上に多いんです。80歳以上の人では男性の約20%が前立腺の潜在がんを抱え、女性の約20%が甲状腺の潜在がんを抱えています。40歳でがんになっても80歳まで長生きできれば、がんと共存したまま天寿をまっとうしたことになる。まさに「天寿がん」です。

 がんは「不良息子」のようなもの。敵ではなく自分の身内です。だから、おとなしくさせて転移を遅らせ、共存することが肝心です。「病気(がん)」になっても「病人」になるわけではない。病気になっても、普通の人と同じように人と交流したり楽しんだりしている人はたくさんいます。

 近藤 では樋野さんご自身ががん宣告を受けたら?

 樋野 ショックは受けると思います。ただ人間は反応できる。反応の仕方が人間の個性です。私であれば、まずそのがんの最先端の治療がどのようなものなのか、純度の高い専門性に耳を傾け、納得できる治療方法を自分で選びます。治療に全力を尽くし、心の中でそっと心配する。

 しかし、病気になったことも、治療が効果を上げるかどうかも、自分ではコントロールできないことですから、悩みを抱える自分のことは放っておくことも大切です。人生の8割で自分のことを考えていたのなら、それを4割にすれば、その分、他者について考える時間を増やすことができるでしょう。

肝臓のような国、目指せ

 近藤 がん哲学外来から世相が見えますか。

 樋野 これまで約3000人の患者さんや家族とお話をしてきましたが、相談内容から親子や家族の抱える問題が透けて見えることが多いんです。外来で患者さんや家族が語る悩み事の3分の1は病気に関係するものですが、実は残り3分の2は、病気をきっかけにした家庭や職場での人間関係の悩みなんですよ。

 例えば、日本では夫は夜遅くまで働いて今まで帰宅時間が遅かった。ところががんになって休職したせいでずっと家にいる。妻は家にいる夫に耐えられず、それが顔に出てしまう……。

 近藤 がんになる前の家族や夫婦関係が問われてしまうわけですね。

 樋野 ええ。実はこれ、米国ではあまり聞かない悩みなんです。あちらは夫婦で一緒にいる時間がそもそも長いからでしょう。

 近藤 ところで、樋野さんは安倍晋三政権の「1億総活躍社会」という言葉、どう思いますか。

 樋野 人間には働ける人も働けない人もいますから、個性をまず認めてほしい、と思いますね。病気も個性ですから。人間にはなぜたくさんの臓器があるか分かりますか? 何に役立っているか分からない臓器でも役割と意味を持っている。例えば虫垂は、普段は何の活躍もしない臓器ですが、炎症が起これば、痛みで体の不調という大事な情報を教えてくれる。

 人間には約200種類の臓器があるのですが、これは世界の国の数と似たようなものなのです。だから僕は、世界平和も生命現象から獲得しよう、って言っているんです。

 近藤 どういうことでしょうか。

 樋野 日本は肝臓のような国家になるのがいいと思う。肝臓には五つの特徴がある。(1)正常なときには静かで、騒がない(2)再生能力抜群。3分の2を切っても2週間で再生する(3)異物に対して寛容で、移植時の免疫抑制剤の必要量も他臓器の10分の1で済む(4)解毒代謝作用がある(5)血中を流れるたんぱく質の80%は肝臓で作られている。

 近藤 「日本肝臓国家論」ですね。

 樋野 そうなると、アメリカは脳で、中国は胃でしょうか。日本は「肝臓」として、平和な時は他国に口を出さず、異文化に寛容な国になってほしい。肝臓のような国になれば、世界に尊敬されるのではないでしょうか。

 ■人物略歴

ひの・おきお

 1954年島根県生まれ。順天堂大医学部病理・腫瘍学教授。全国に広がる「がん哲学外来」の創始者一般社団法人がん哲学外来理事長。「がん哲学外来入門」「いい覚悟で生きる」など著書多数。
    −−「特集ワイド:近藤勝重の世相をみる 「がん哲学外来」創始者・樋野興夫さん」、『毎日新聞』2015年12月11日(金)付夕刊。

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