覚え書:「地球ING・進行形の現場から 第23回 刑務所で大学教育」、『毎日新聞』2015年12月15日(火)付。

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地球ING・進行形の現場から
第23回 刑務所で大学教育
毎日新聞2015年12月15日 東京朝刊
ハーバード大学の学生(右)と討論対決する受刑者(左)=米ニューヨーク州の刑務所で9月、BPI提供、ピーター・フォーリー氏撮影
受刑者がハーバードを論破


 9月に米ニューヨーク州の刑務所で行われた討論対決で、男性受刑者3人がハーバード大学のチームを破り、大きな反響を呼んだ。3人は凶悪犯罪で服役中だが、受刑者向け大学教育プログラム「バード・プリズン・イニシアチブ」(BPI、本部・ニューヨーク)で学位取得を目指して学んでいる。卒業生の再犯率は低く、更生に効果があるという。多すぎる刑務所人口は全米で深刻な問題となっており、大学教育の提供は負のサイクルを断ち切る切り札として注目されている。

 警備が最も厳重なニューヨーク東部の刑務所。緑色の囚人服を着た受刑者約100人が見つめる中、ハーバード大の学生3人と故殺(計画性のない殺人)や暴行の罪で服役中の3人が壇上で議論を戦わせた。テーマは「米国の公立学校は不法滞在の生徒の入学を拒否できるようにすべきだ」。

 BPIによると、受刑者チームは自分たちの考えとは異なる主張だったが、説得力のある論理を展開した。「過密と資金不足の落ちこぼれ工場になった学校が不法滞在の生徒を拒否できれば、NPOや資金力のある学校が参入し、より良い指導ができるようになる」と訴えた。1時間の討論の末、受刑者チームに軍配が上がると、観客席の受刑者から歓声が湧いた。勝利した3人は肩を抱き合って喜び、ウォール・ストリート・ジャーナル紙に「刑務所内の教育の力を示したかった」と語った。敗れたハーバード大チームはフェイスブックで「驚くほど賢く、理路整然としており、負けたことを誇りに思う数少ない相手」とたたえた。

 BPIは2001年に始まり、バード大学(ニューヨーク州)の学位を取得できる。年間約250万ドル(約3億円)の費用は民間の寄付で賄い、同州6カ所の刑務所で一般学生と同じ内容を無料で提供している。面接と作文で選ばれた約300人がリベラルアーツと呼ばれる教養教育を受け、数学や哲学などを学んでいる。BPIによると、卒業生約390人のうち3年以内に収監された人は2%以下。同州全体の再収監率は約40%で、再犯防止効果がデータで裏付けられている。

 BPI開発部長のローラ・リーブマン弁護士は「論理的思考や分析力がつき、新たな考え方によって人生が転換する。受刑者も機会が与えられればトップレベルの学生と同じ能力を発揮できる」と指摘する。

 現金を奪って12年半服役し、今年1月に出所したマイケル・クリーランドさん(36)は「最初は積み上げられた本の多さに圧倒され、逃げ出したくなった」と語る。だが、学問を通して、常に「なぜ?」と論理的に考えられるようになった。「外国語や歴史を学ぶことに何の意味があるのかと思うかもしれない。でも、まるで鏡で自分を映すように自己と向き合うことにつながる。逃げる代わりに答えを見いだせるようになる」。犯罪者のレッテルを貼られると再出発が難しいが、「学位という能力を示す証明がある」。今は出所者の仕事や住居を見つける支援をしている。受刑者が討論でハーバード大生を破ったことで、「犯罪者はモンスターだ」という固定観念が変わることを期待する。「過去だけでなく、現在に目を向けるきっかけになるのではないか」


刑務所内で学位を取得し、若者支援に携わるドーレル・スモールウッドさん=長野宏美撮影
 ドーレル・スモールウッドさん(37)も「大学教育を受けて分析的に考えるようになった。学ぶ意味と楽しさを初めて知った」と語る。特に影響を受けたのは米国の思想家、ジョン・デューイの教育哲学。刑務所で作業の洗濯をしている間も本を手放さなかった。勉強時間は1日8−10時間。少年グループの抗争で発砲事件に関わり、16歳から約20年間服役した。今は出身地のニューヨーク市の公選弁護人事務所で、犯罪に手を染めた若者の法廷付き添いや立ち直りの支援をしている。「私も彼らと同じ道を通ってきた。逮捕されたらこの先は何も良いことがないという神話を壊す存在だと思っている」

 カリフォルニア州サンフランシスコ近郊のサンクエンティン刑務所。鉄格子を3回抜けると、青い囚人服の男性受刑者が「ハーイ」と手を振って迎えてくれた。700人以上の死刑囚を含む約3500人が収容されており、その1割が民間の「刑務所大学プロジェクト」で学んでいる。所定の単位を取得すればパッテン大学(同州)の準学士が得られる。窓の外に鉄条網が広がる教室で11月下旬、数学の授業を見学した。


刑務所内で行われる大学の授業で数学を学ぶ受刑者=米カリフォルニア州のサンクエンティン刑務所で、長野宏美撮影
 使い込んでテープで補修した教科書をめくり、関数や代数の問題を解いていく。「ここは2乗すべきだ」「もっと簡単な解き方があるはず」。受刑者から声が上がる。アーロン・ウィーゲル講師(31)が「実社会では解答が複数あるし、答えがないこともある」と応じる。ウィーゲル講師は「彼らは学ぶことで自信と希望を得ている。誰よりも熱心だ」と語る。殺人罪終身刑を受けたラファエル・クエバス受刑者(33)は「数学から誤りを正すことを学んだ」と話す。更生態度が認められれば仮釈放の時期が早まる可能性があるという。

 米国の受刑者は約220万人。ワシントン・ポスト紙によると、連邦刑務所の運営費用は司法省予算270億ドルの3分の1に達している。民主党大統領候補のヒラリー・クリントン国務長官は4月、「米国は世界の人口の5%以下だが、25%近い受刑者を抱えている」と指摘した。米国では1990年代に連邦政府による受刑者の大学奨学金が廃止された。政府は試験的に一部を復活させる方針だが、「善良な市民が進学に苦労しているのに、なぜ受刑者が無料で教育を受けられるのか」という批判が根強い。

 ランド研究所の調査(13年)によると、教育プログラムに参加した受刑者は3年以内に刑務所に戻る確率が43%少ない。受刑者教育に1ドル使うたびに再収監でかかる費用約5ドルを節約できるという。調査を担当した同研究所のロバート・ボジック博士は「教育が転機となり、職を得て社会復帰する可能性が高まる。生産性のある市民を生み、費用対効果も大きい」と強調した。<ロサンゼルス・長野宏美>

 ■取材後記

 「勉強とは違う。学びなんだ!」。大学教育を受けていた当時を、うっとりとした表情で語るスモールウッドさんの姿が印象的だった。誰かに強制されたわけではなく、とにかく学びたかったという。「受刑者は最低の中の最低で社会に拒絶されている」と感じるが、学んでいる間は学生になれる。インターネットが使えないため、書物をめくり、手書きの繰り返しだ。「コピペ」はできないから、とにかく頭を使う。規定通りのことを繰り返す職業訓練ではなく、教養教育によって人は変化し、成長するという。

 父親は彼が赤ん坊の頃から刑務所を行き来し、そのうち7年間は同じ刑務所で顔を合わせていた。「自分が一族で最初の大卒者」で、「二度と刑務所に戻らない素養を身につけた」と断言する。彼に刺激を受け、22歳の娘も大学を卒業。福祉の仕事をするため、修士号取得を希望しているという。犯罪のサイクルが止まっていることを確信した。

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