日記:現実に奉仕し、その奴隷となる学理は、曲学阿世のものである。そして、現実が学理に奉仕し、それによって導かれることを求めるのは、曲学阿世の望みえぬことである。

Resize0143




「感情」に流されずに、冷静に評価すれば、まともなことを「説明」したことになるのでしょうか。

「僕はどちらの側でもありません」ということを強調すれば、まともなことを「論評」したことになるのでしょうか。

量子論でご破算にしても始まらないですが、これほど価値自由を錯覚し、それどころか価値自由そのものをあざ笑うものは他にはありません。もはや一種の「冷静病」と言ってもよいでしょう。

「感情」に流されずに、冷静に評価というポーズ、「僕はどちらの側でもありません」ということだけを強調するスタンツというものこそ、おうおうにして、他人の家に土足で踏み込んできて、頼まれもしない実況見分という愚挙。

どうして人間が喜怒哀楽してしまうのか、そのことを無視すること自体、喜怒哀楽する人間を小馬鹿にし、そのこと自体を抑圧する権力補完構造であることになぜ気がつかないでしょうか……ねぇ。

        • -

 気が付けば、本年は戦後七十年にあたる。たんなる偶然とはいえ、エラスムスとモアの往復書簡をこの節目に出すにさいして、我々は、渡辺一夫がその昔エラスムスとモアをめぐって綴った文章−−「ルネサンスの二つの巨星」(『エラスムス トマス・モア』中央公論社、一九六九年、巻頭緒言)−−を思い起こさざるをえない。悲惨な大戦で被った体験と自ら生業とするフランス・ルネサンス研究とが相まって、一つの精神的志向性が成立するところに渡辺の稀有な立ち位置があったわけだが、そのような現実の生の体験と歴史的な知的探求とが相まって織り成す、反省的・批判的ヴィジョンの必要性が今ふたたび問われていると思うからである。精神の偏狭が狂気を生み、一旦生まれた狂気は、猖獗を極めてとどまることを知らない。そういう戦前戦中の体験を踏まえて、渡辺はこう言った。「現実に奉仕し、その奴隷となる学理は、曲学阿世のものである。そして、現実が学理に奉仕し、それによって導かれることを求めるのは、曲学阿世の望みえぬことである。」ここでいう後者の学理こそ、エラスムスがそしてモアが、ともに生涯にわたって求めつづけたところのものであった。
    −−高田康成「あとがき」、沓掛良彦・高田康成訳『エラスムス=トマス・モア往復書簡』岩波文庫、2015年、430-431頁。

        • -


Resize4819