覚え書:「今週の本棚:川本三郎・評 『「フランスかぶれ」の誕生−『明星』の時代1900−1927』=山田登世子・著」、『毎日新聞』2015年12月6日(日)付。

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今週の本棚
川本三郎・評 『「フランスかぶれ」の誕生−『明星』の時代1900−1927』=山田登世子・著

毎日新聞2015年12月6日

(藤原書店・2592円)

「日本語の近代」語る熱い著者の筆

 近代日本の文学者の多くは西洋、とりわけフランスへ憧れた。

 永井荷風は「嗚呼(ああ)わが仏蘭西(フランス)。自分はどうかして仏蘭西の地を踏みたいばかりに此(こ)れまで生きていたのである」(「巴里(パリ)のわかれ」)とフランスへの憧れを率直に表明した。

 萩原朔太郎が大正のはじめに「ふらんすへ行きたしと思へども ふらんすはあまりに遠し」(「旅上」)と歌ったのはよく知られている。島崎藤村は大正時代にパリに行ったし、昭和のはじめ林芙美子は『放浪記』がベストセラーになると飛ぶようにパリに出かけた。

 挙げてゆくと切りがない。作家や詩人にとってフランスは憧れの地であり続けた。

 本書は、フランスへ熱い思いを抱き続けた文学者たちを辿(たど)っている。「フランスかぶれ」を軸にした近代文学史になっていて面白い。

 語られる文学者は、与謝野鉄幹(のち寛)と晶子、北原白秋石川啄木永井荷風島崎藤村堀口大学ら。大杉栄に一章割かれているのは異色(文学者として評価している)。

 「フランスかぶれ」に大きな役割を果たしたのは明治三十三年(一九〇〇)に鉄幹と晶子を中心に創刊された雑誌『明星』だと、著者はいう。

 短歌だけではなく詩、そして翻訳を載せた『明星』は、当時としてはきわめてハイカラな雑誌だった。表紙を藤島武二アール・ヌーヴォーの絵が飾った。フランスの香りがした。白秋や啄木らが作品を寄せた。

 なぜフランスだったのか。

 まず何よりもフランスが芸術を大事にする国だったからだろう。明治の日本は、富国強兵、殖産興業が謳(うた)われ、芸術文化よりも実学が優先された。だからこそ、芸術の国フランスが、芸術の都パリが、文学者たちの憧れになっていった。

 本書は、しかし、ただ「フランスかぶれ」の流れを追っているだけではない。日本語の近代というもうひとつの重要な主題が底流にある。

 西洋文明に接した日本が、いかにして近代日本語を作り上げてゆくか。「神」「恋愛」「青春」「芸術」などの言葉が近代になって翻訳語としてうまれたように、言葉に生きる文学者は、新しい時代に合った新しい近代日本語をどう作ってゆくかの難題に直面した。

 その悪戦苦闘のなかで大きな手がかりとなったのがフランスとの遭遇だった。世紀末フランスの文学、あるいは印象派の絵画から受けた新鮮な感動をどういう日本語で表現していったらいいのか。

 「フランスかぶれ」の文学者たちは、ただ芸術の国に憧れただけではない。翻訳という言語表現を通して、新しい日本語を考え作り上げてゆくことに傾注した。著者は、この点こそを強調する。

 上田敏によるフランスの象徴詩の訳詩集『海潮音』(明治三十八年)が『明星』に拠(よ)る文学者たちにいかに大きな影響を与えたか。永井荷風訳の『女優ナナ』の文章がいかに素晴らしいか。

 あるいはまた北原白秋の、色彩と光にあふれた詩や歌が、いかにフランスの印象派の絵画に近接しているか。堀口大学の軽やかで、はかない詩の世界が、いかにパリの詩人たちに多くを学んでいるか。

 「日本語の近代」を語る著者の筆は熱い。本書の読みどころだろう。個人的には、荷風がフランスを体験することで、官能の喜び、近代人の憂い、そして都市を一人歩く孤独の楽しみを知り、そこから新しい文体を作っていったという指摘には、荷風好きとして納得するものがあった。
    −−「今週の本棚:川本三郎・評 『「フランスかぶれ」の誕生−『明星』の時代1900−1927』=山田登世子・著」、『毎日新聞』2015年12月6日(日)付。

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「フランスかぶれ」の誕生 〔「明星」の時代 1900-1927〕
山田 登世子
藤原書店
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