覚え書:「今週の本棚:内田麻理香・評 『ガリレオ裁判−400年後の真実』=田中一郎・著」、『毎日新聞』2015年12月20日(日)付。

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今週の本棚
内田麻理香・評 『ガリレオ裁判−400年後の真実』=田中一郎・著

毎日新聞2015年12月20日

 (岩波新書・842円)

穏便に切り抜け、科学の発展妨げず

 ルネサンスの発祥地、フィレンツェには、ガリレオ・ガリレイの名を冠した博物館がある。その「ガリレオ博物館」を訪れたことがある。そこには、科学革命の立役者を務めたガリレオの使った望遠鏡がさりげなく置かれていた。この小さな望遠鏡が、異端審問を経て科学革命に繋(つな)がった。そう思い出しながら予想外にちっぽけな望遠鏡を感慨深く見た。

 私たちの多くのガリレオ評は次のようであろう。地動説を提唱したために、異端審問を受け、投獄された科学のヒーロー。「それでも地球は動いている」と述べた言葉は、宗教に屈せず立ち向かったガリレオ像を形作っているはずだ。

 しかし、現実はわかりやすい宗教裁判ではなかった。二一世紀の今、ヴァチカンの秘密文書から新たなガリレオ裁判に関する記録が明らかになった。これらの資料を元にして、この裁判のなりゆきを再検討したのが本書である。単純な「宗教」対「科学」の裁判ではなかったのだ。

 「トスカナ大公付き首席数学者兼哲学者」であったガリレオは、当時としては高い地位にあった。当時の教皇ウルバヌス八世との関係も良好だった。問題は、『天文対話』をガリレオが出版したことで始まる。

 この著作に対して教皇が怒りを表明した。教皇は友人と思っていたガリレオに地動説の考えを抱かぬよう忠告していたが、裏切られたと感じた。最終的には異端審問所へ、ガリレオが呼び出されることになる。

 さて、ガリレオはその審問でどう答えたか。なんと、彼は「地動説を抱きも擁護もしていない」と主張したのだ。異端審問で、自らの無罪を主張したのであるが、これがこの審問を長引かせ、複雑にさせた。

 そもそも、宗教裁判は「被告に告解(こっかい)させる、罪を認めさせる」という性質である。ガリレオが『天文対話』で地動説の考えを抱いたと認め、「罪」を認めれば、そこで審問は終了したはずであった。しかし、ガリレオは自らが地動説を抱いているとは認めず、ましてや自著を書き足して地動説を論駁(ろんばく)することもできるとまで述べたのだ。

 頑迷な宗教人と闘い続けた英雄的科学者としての、ガリレオのイメージは崩れ去るだろう。しかし、ガリレオキリスト教信者であった。自らが異端とされることにも抵抗があったのだろう。また『天文対話』が葬り去られることも恐れたのであろう。ガリレオが徹底的に教会に対し、地動説を主張したならば、極刑が待ちうけていた。生き抜いたおかげで、ガリレオはのちに『新科学論議』を著すことができた。できる限り穏便にこの裁判を切り抜けようと考えたガリレオの戦術だったのだろう。彼は、異端者にもなりたくないし、自著を禁書にもしたくないと考えた。しかし結局、投獄と『天文対話』の禁書という厳罰が下る。

 穏便に済ませたいと考えたのは教皇も同様で、投獄はすぐに普通の邸宅への軟禁となり、実際の処罰は判決の厳しさとは隔たりがある。

 本書には、宗教に相対して闘い抜いた英雄ガリレオのイメージはない。読むと落胆する人もいるかもしれない。著者は「近代科学はキリスト教世界の産物」というが、ガリレオもその枠内にいた。教皇ウルバヌス八世も文化に貢献した教皇と評されるが、双方とも当時のしがらみの中で上手(うま)く切り抜けて、科学の発展を妨げなかったのだろう。ガリレオに関わる聖職者たちも、彼を助けようと奔走した。科学革命は英雄ガリレオだけで達成されたのではない。彼を取り巻く宗教側の人びとの活躍も見逃すことができない。当時の皆が、私たちに今の科学を届けている。
    −−「今週の本棚:内田麻理香・評 『ガリレオ裁判−400年後の真実』=田中一郎・著」、『毎日新聞』2015年12月20日(日)付。

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