覚え書:「今週の本棚:荒川洋治・評 『水車小屋攻撃 他七篇』=エミール・ゾラ著」、『毎日新聞』2015年12月20日(日)付。

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今週の本棚
荒川洋治・評 『水車小屋攻撃 他七篇』=エミール・ゾラ

毎日新聞2015年12月20日 東京朝刊

 (岩波文庫・929円)

新しさを秘める写実の世界

 長編『居酒屋』『ナナ』で知られる自然主義文学の巨匠、エミール・ゾラ(一八四〇−一九〇二)の八つの短編を収録。長編とは異なる、シンプルな世界だが、特別な魅力がある。

 「その小さな村はどこにあるのだろう?」

 普仏戦争(一八七〇−一八七一)前夜発表の「小さな村」は、誰も知らない、平野の片隅にある村の、のどかな情景から始まる。その村が突然、戦場になって多くの人が死に、誰もが知る村に変わる。「重々しく眠る、沈黙した無人の墓地のかずかず。そのほとんどは、ごく小さな集落のかたわらに口をあけている」のだ。「ワーテルローはただの農家の集まりでしかなかった。マジェンタには五十軒ほどの家しかなかった」。戦場の地図を見つめながら、空想が開かれていく。

 表題作「水車小屋攻撃」は、ある小さな村が舞台。水車小屋はフランス軍の要塞(ようさい)となり、やがてプロイセン軍のものになり、銃撃戦で破壊され、人々は殺される。その経過を淡々と写しとる。「ジャック・ダムール」は、流刑地から生きのびた男が一〇年後、妻と娘を訪ねる。以上三編は戦争にかかわるものだ。同じ写実でも、作風は別人のように異なる。「周遊旅行」は家庭劇、「アンジュリーヌ」は怪談。

 題材も、多彩。「一夜の愛のために」は、孤独な日々を送る青年が、向かいの館に住む、高貴な令嬢に恋をする。だが令嬢は、ある日、ある男とじゃれあううちに殺意がめばえ、男を殺してしまう。その死体の始末を、青年に依頼。死体処理のさなかにも、令嬢は「自分を待ってくれているのだ」と、青年は思う。愛のない恋。その悪夢の一部始終である。

 異色作「シャーブル氏の貝」は、若く美しい妻と、かなり年上の夫。子どもができないのが悩みだが、貝を食べると効果があると医師からいわれた夫は、貝を求めて、海辺の町へ。偶然会った青年と、連れだって歩く妻。何が起きているとも知らず、ついていく夫。「シャーブル氏はそのあいだ二人の後ろに立って」、「貝の消化に専念していた」。これ以上ないと思われるほどに美しい自然を背景に、おかしく、でもどこか愛らしい三人の姿を鮮やかに映し出していく。

 スピード感のある文章で、精細に記す。一作一作が、新たなもの、異なるものをかかえて、登場する。類似性がない。ゾラは、いま、ここでは、こういうものを書くというレールだけを見つめ、その他のことは考えない。ふだんより見晴しのいいところに立って、静かに筆をすすめ、終わるところで終わる。あれこれで注意を必要とする長編にはない自由を楽しむ。

 ゾラ個人の文学的趣味がこれらの短編ではほとんど見られない。いろんな方角を向いて好きなように書くのに、自分寄りのものではない。自分には用はないという空気だ。個人や社会の現状維持をはかる、いわば「右寄り」の作品ではない。ゾラの短編を読むと、現代の小説も詩も、いかに「右寄り」であるかを知る。

 うしろから二番目に置かれた「ある農夫の死」は、文字通り平凡な農夫の生死をつづる。何ごともなく生き、死んでいく。つくりも簡素なのに、余韻は深い。これを書いたということだけ、そのことだけを示す。そこに高潔さを感じる。

 書くことは、ゾラにおいて、自分を離れることを意味した。大きくひろがる風景を求めつづけた。まわりのものから、これから現れるものからも離れるのだ。そこから、際立つ短編が生まれた。(朝比奈弘治訳)
    −−「今週の本棚:荒川洋治・評 『水車小屋攻撃 他七篇』=エミール・ゾラ著」、『毎日新聞』2015年12月20日(日)付。

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