覚え書:「危機の真相:共生の時代 移民は異民にあらず=浜矩子」、『毎日新聞』2016年01月16日(日)付。

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危機の真相
共生の時代 移民は異民にあらず=浜矩子

毎日新聞2016年1月16日
 旧約聖書を読んでいたら、次のくだりに出合った。

 「……お前たちの道と行いを正し、お互いの間に正義を行い、寄留の外国人、孤児、寡婦を虐げず……自ら災いを招いてはならない」(エレミア書7:5−6)

 預言者エレミアの活動期間は、紀元前600年前後の時期だったと考えられている。今から2000年余りも前の時代だ。その時、「寄留の外国人」に対する取り扱いは既に定められていた。彼らを虐げてはならない。そう明言されている。

 それなのに、21世紀の今日、国々はなお寄留の外国人の取り扱いを巡って困惑している。今日の寄留者たちは、戦地を逃れてやって来る。経済的困窮に追い立てられて移動してくる。彼らの圧倒的大多数は、単なる寄留すなわち緊急避難的仮住まいにとどまらず、行く先々での定住を望む。

 このような状況を前にして国々が懊悩(おうのう)するのはよく分かる。いかに難民たちに同情しようとも、受け入れには物理的な限界がある。いかに移住者を歓迎したいと思っても、自国民を差し置いて彼らをことさらに優遇するわけにはいかない。深く悩むのは当然だ。

 だが、それでも、彼らを虐げてはならない。この大原則を崩すことは許されない。この点は、改めて確認しておく必要があるだろう。

 寄留者たちが移住者となる時、彼らはその出身地と決別する。みずから進んで故郷を捨てる場合もある。不本意ながら立ち去らざるを得ないこともある。いずれにせよ、彼らは生まれた場所にとどまっていた時とは異なる存在になる。そのような状態で、新たに共同体を形成することもあれば、バラバラに寄留先の社会に定住する場合もある。

 新たな定住先で、共同体としてのまとまりを持つようになった移住者たちを「ディアスポラ」と呼ぶことがある。この言葉を学術的厳密性をもって定義しようとすると、なかなか厄介だ。語源はギリシャ語で、「分散」あるいは「まき散らす」などの語意を持つ。当初は、世界に散らばったユダヤ民族を指す使われ方が主流だった。それが、やがて、異国の地で暮らす各種の人々に当てはめられるようになっていった。

 このような広義の使われ方でいえば、華僑も一つのディアスポラだ。最近、「日僑」という言葉もはやり始めた。日本を出て、海外に定住する日本人たちのことである。そのうち、日僑ディアスポラの一種として認知されることになるかもしれない。

 ここで思い出すのが、「駐在員ディアスポラ」という言い方だ。社命で自国を離れた海外駐在員たちも、ある種のディアスポラを形成している。そのような考え方に基づいて、その生態を研究している学者たちとの議論に参加したことがある。

 このような文脈で考えを進めれば、海外に在住する日本人たちの中にも、さまざまなディアスポラが存在するといえそうだ。過去に移住して、何世代にもわたって、異郷に定住している日系人たち。日僑スタイルの移住者たち。そして日本企業の駐在員たち。彼らは、いずれも相互に異なるディアスポラを形成しているといえるだろう。

 今、欧州各国に押し寄せている難民たちは、どのようなディアスポラだというべきか。彼らが行く先々で安住することができるようになった時、彼らはどのようなディアスポラに変質するのか。あれこれ、思いが広がる。

 一つの国の中においても、さまざまなディアスポラが成り立ち得る。日本国内で、被災地を離れて、別天地に定住せざるを得なくなった方々は、一つのディアスポラを構成することになるかもしれない。

 ディアスポラという言葉には、とかく、一定の悲しさや哀愁が伴いがちだ。この言葉を「離散の民」というふうに解釈すれば、どうしても、そうなる。駐在員ディアスポラにしても、母国を離れて不慣れな任地で肩を寄せ合っている、というふうにみれば、やはり、そこには一定のもの寂しさがにじみ出る。

 だが、半面、ディアスポラは希望と勇気の核ともなり得る。異郷になかなかなじめない移住者たちにとって、ディアスポラの内側は心地よい安住の空間だ。ただ、ディアスポラとしての求心力が強くなり過ぎると、その外側との関係がギクシャクしてくる。

 さまざまな「寄留の人々」が出現するグローバル時代において、多種多様なディアスポラ群は、いかにして共生の構図を見いだしていくことができるか。彼らは、お互いを虐げてはいけない。それは、紀元前から定められていることだ。この掟(おきて)に従うために、21世紀のディアスポラたちは、どのように知恵を絞るか。それが問われる。

 移民を決して「異民」視しない。そのような感受性がどこまで定着するか。いわんや、移民を誰も「違民」扱いすることはない。この感覚がしっかり共有されるようになれば、グローバル時代は、多彩なディアスポラの実り多き共生の時代となり得る。

 ■人物略歴

はま・のりこ

 同志社大教授。次回は2月20日に掲載します。
    −−「危機の真相:共生の時代 移民は異民にあらず=浜矩子」、『毎日新聞』2016年01月16日(日)付。

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