覚え書:「今週の本棚・堀江敏幸・評 『1914』=ジャン・エシュノーズ著」、『毎日新聞』2016年1月17日(日)付。

Resize0591

        • -

今週の本棚
堀江敏幸・評 『1914』=ジャン・エシュノーズ著

毎日新聞2016年1月17日 東京朝刊
 
 (水声社・2160円)

文体に滲む人の愚かさ揺さぶる感情

 物語は一九一四年八月一日の午後、フランス南西部ヴァンデ県の町の、穏やかな空気のなかで始まる。主人公アンチームは、二十三歳の会計士だ。戸外で読書でもしようと、いかつい自転車で遠出をしていた彼の耳に、動員を知らせる教会の鐘が響いて来る。戦争の予感はあった。かりにそうなったとしても長くは続くまいと皆たかをくくっていたその戦は、しかし、以後四年間、国を徹底的に痛めつけ、虐殺と呼ぶほかない場面を繰り広げることになる。

 本書『1914』(二〇一二)の作者ジャン・エシュノーズは、一九七九年に『グリニッジ子午線』(未訳)でデビューして以来、冒険小説や推理小説の要素に映画的なカットの手法をまじえ、さらにジャズに深く影響された独特のシンコペーション諧謔(かいぎゃく)を共存させた軽やかな文体で、高い評価を得てきた。いまやフランス現代小説における中堅以上の書き手を代表する作家のひとりだ。

 しかし、二〇〇六年に刊行された『ラヴェル』(○七、邦訳、みすず書房)を境に、その作風が変化する。舞台を現代社会に限定せず、特定の人物や事件に対する具体的な関心の赴くまま、伝記的な資料に当たり、そのうえで史実から少し身体を浮かせる独特の世界を構築するようになった。ささやかな細部への注視が作曲家の半生、いや人生全般へと波及していくさまを描いたこの作品は、書き手の突出を抑え、人物の表情や出来事の輪郭を、冷たくも温かくもならない絶妙の距離を保ちながら淡々と語るスタイルを提示して、大きな注目を浴びた。

 その後、人間機関車と呼ばれたザトペックを中心に据えた『走る』(〇八、未訳)、空中放電実験で知られる電気技師ニコラ・テスラをモデルにした『稲妻』(一○、邦訳、近代文藝社)が、おなじ手法で書き継がれてきた。本書も、ほぼその系列に連なる作品と言っていいだろう。同時にそれは、新たな挑戦でもあった。人物中心の伝記的記述に加えて、第一次世界大戦という未曽有の虐殺に対する「叙事」の扱いが問われるからだ。毒ガスと戦闘機の出現によって従来の戦争の概念を変えてしまった愚行の残酷な絵巻は、すでに数多くの先行作のなかで描かれてきた。既視感、既読感をどのように乗り越えるか。エシュノーズは、冷静かつ謙虚に言葉を差し引きし、大言壮語の罠(わな)をみごとにすり抜けてみせた。

 警鐘を聞いた翌日、アンチームは三人の友と入営した。仲良し四人組と少し離れて、アンチームの兄シャルルの姿も見える。少し高慢なところのあるこの兄には、ブランシュという恋人がいた。地元の大きな靴工場主の娘で、のちに彼女が兄の子を宿していることがわかってくる。未来の父と友人ふたりは戦死し、ひとりは処刑される。生きて帰って来たのは、アンチームだけだった。ただし、右腕を失って。

 帰還後の彼の運命は、応召の日にブランシュが彼に送った、兄に向けるのとは「別の種類の笑み」によって予告されていた。「もっと真剣な、気のせいかもう少し感情のこもった、あるいは思いの深い、あるいは溢(あふ)れるところのある笑顔」。完璧に統御された文体から滲(にじ)み出るこうした共感に似た感情が、百年以上経(た)ってもまだはびこっている人間の愚かさを揺さぶる。

 原題は、単に『14』。二桁の数字が鍵語となって読者に開いてくれるのは、歴史の一場面ではない。心身の傷とはべつの意味で消すことのできない、しかもそれを消すことのできる、虚構としての、言葉としての体験なのである。(内藤伸夫訳)
    −−「今週の本棚・堀江敏幸・評 『1914』=ジャン・エシュノーズ著」、『毎日新聞』2016年1月17日(日)付。

        • -





今週の本棚:堀江敏幸・評 『1914』=ジャン・エシュノーズ著 - 毎日新聞








Resize0084


1914 (フィクションの楽しみ)
ジャン エシュノーズ
水声社
売り上げランキング: 521,704