覚え書:「今週の本棚・張競・評 『<文化>を捉え直す−カルチュラル・セキュリティの発想』=渡辺靖・著」、『毎日新聞』2016年1月17日(日)付。

Resize0595


        • -

今週の本棚
張競・評 『<文化>を捉え直す−カルチュラル・セキュリティの発想』=渡辺靖・著

毎日新聞2016年1月17日 東京朝刊
 
 (岩波新書・842円)

文化の政策的価値に注目する理由

 ここ二十年に起きた大きな変化として、グローバル化とデジタル情報化を挙げることができよう。前者については文化の均一化を危惧する声はよく耳にするし、後者については情報帝国主義の膨張という批判がある。

 時代が大きな転換を遂げたいま、世界や地域の文化をいかに把握し、わたしたちはどのような文化的な課題に直面しているか。その問いかけに応答したのが本書である。着目されたのは「人間の安全保障」という新たな課題である。「人間の安全保障」とはやや耳慣れない言葉だが、一言でいうならば、すべての人々の生に着目し、貧困と絶望から解き放たれて生きる権利や人としての尊厳を守ることである。従来の物的支援に止(とど)まらず、文化環境の整備や人々の自信を取り戻すための文化活動が重視されている。

 文化を論じる本として独特なのは抽象的な理論を展開するのではなく、また、政治との親和性を前提とする政策論のみを語るのでもない。両者がそれぞれ陥りやすい罠(わな)に留意しつつ、その橋渡しを図ろうとしている。

 そのために二つの戦術が取られている。一つは理論面での障阻除去である。書名の<文化>の二文字が括弧でくくられているのには理由がある。ある文化的特質を固有不変の「本質」として捉えるのではなく、その断片性や不完全性、文脈依存性を解き明かすことに力点が置かれている。

 まず、グローバル化の問題に対し、肯定派と否定派の偏頗(へんぱ)を指摘し、重層的な位相を踏まえた問題認識の重要性を説いている。国内外の実例を挙げて、グローバルとローカルのどちらか一方が他方を単方向的に規定していくのではなく、循環的かつ混淆(こんこう)的な過程と見なすことを確認する一方、肯定派の論理的な落とし穴や盲点をも明快に指摘した。その上で、グローバリゼーションを飼いならし、その負の側面を制御し、正の側面を活用することが提案されている。

 もう一つは文化の政策的価値に対する注目である。文化と国家権力の関係に敏感になりながらも、国家ならびに地方の両レベルにおいて、文化の政策的価値を一概に否定せず、「人間の安全保障」の資源としての活用が提唱されている。

 パブリック・ディプロマシー(広報文化外交)はかつてもっぱら外交や政治学の問題として議論されてきた。文化観念論の領域ではほとんど語られることはなく、ましてや政策決定への関与は多くの公共知識人が潔しとしなかった。ところが、著者は多くの実践例を検討し、価値中立的な立場の可能性を示唆した。行政の現場においてナイーブな文化観に囚(とら)われた施策に任せるより、専門家の助言にもとづく文化創出のほうが遥(はる)かに有益である。グローバル化が進むなか、国際益と国益がますます不可分になっている。狭隘(きょうあい)な国益理解に縛られた「対外発信の強化」がかえって国益を損なう。研究者たちは象牙の塔に蟄居(ちっきょ)するのではなく、自ら参与することで地球文化を変えていくことができる、と著者は力説している。

 文化理論に親しんできた者にとって読後の驚きは大きいであろう。その分、啓発されることもまだ多々あると思う。一九六〇年代以降、文化人類学の分野ではパラダイムの転換が起きて、とりわけ八〇年代以降になると、隣接分野の影響も受けた。そうした一連の変化によってもたらされた知見が随所で参照されている。文化人類学という学問分野が歩んできた道を振り返り、将来への展望を視野に入れながら、現在の立ち位置を内省的に再確認する最終章は、学問と真摯(しんし)に向き合う著者の姿を窺(うかが)わせて面白い。
    −−「今週の本棚・張競・評 『<文化>を捉え直す−カルチュラル・セキュリティの発想』=渡辺靖・著」、『毎日新聞』2016年1月17日(日)付。

        • -




今週の本棚:張競・評 『<文化>を捉え直す−カルチュラル・セキュリティの発想』=渡辺靖・著 - 毎日新聞



Resize0088