覚え書:「耕論:快さの裏側に 辻田真佐憲さん、早川タダノリさん」、『朝日新聞』2016年02月03日(水)付。

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耕論:快さの裏側に 辻田真佐憲さん、早川タダノリさん
2016年2月3日


イラスト・岩見梨絵

 その昔、楽しい歌や美しい言葉を人々が自ら受け入れ、政治に動員された時代があった。しかし、この構図は単なる昔話ではない。軍歌の歴史に何を学ぶのか。「美」は絶対の正義なのか。2人の研究者に聞いた。

 

 ■権力と企業、軍歌で戦意高揚 辻田真佐憲さん(近現代史研究者)

 軍歌というと、国が作って国民に押しつけたというイメージがあるでしょう。あるいは一部の人たちにとっては「日本精神の結晶」であり、神聖な歌なのかもしれません。しかし、当時は売れるから作る、あくまで「商品」でした。人々は今でいう「Jポップ」として喜んで聴いていた面もあったのです。

 ■ブームに乗じて

 まずは、簡単に振り返ってみましょう。

 軍歌は、日清戦争満州事変と戦争のたびに、出版社やレコード会社が競って新曲を作りました。特に人気だったのは、特定の戦死者をたたえる歌です。国家のための死というのは、物語として人を強く引きつける。上海事変で戦死した兵士のため、朝日新聞が歌詞を公募した「肉弾三勇士の歌」などの大ヒットが次々生まれ、一大ブームを巻き起こします。

 1931年の満州事変のころは、新しいレコード会社が次々にできて、歌手や作詞家を抱え込み、激しい競争を繰り広げました。そこに部数拡大で競っていた新聞社が乗っかって、「メディアイベント」となっていった。国民が聞きたい音楽を民間企業が作るという関係だったわけです。たとえは悪いかも知れませんが、昨今の「嫌中・嫌韓本」ブームに似た状況だった、といっていいかもしれません。

 この間、政府内では、内閣情報委員会などでプロパガンダの重要性が議論されていました。37年に日中戦争が始まると、プロパガンダを扱う内閣情報部を組織し、官製軍歌初の大ヒット「愛国行進曲」を作りました。しかし戦局が悪化し、戦争の悲惨さが伝われば、国民の間には厭戦(えんせん)ムードが広がったはずです。普通ならブームも終わったと思います。

 それを阻んだのは、軍歌で国民の戦意高揚を図りたい政府であり、政府と組んで軍歌で商売を続けようとした民間企業でした。歌詞の検閲も始まったのですが、むしろ民間側が、検閲官と事前にすりあわせをする「懇談会」に進んで参加して、当局の意向を採り入れる自主検閲みたいなことを始めたのです。政府の関与によって、本来は一過性のブームで終わるものが終わらなくなった。次第に大正モダンの民主的な空気は変化し、人々は「非常時」のムードを受け入れ、政府に動員されるようになっていきました。

 ■「海ゆかば」歌う

 先月、大阪市で開かれた、とある講演会でのできごとを知って、仰天しました。「陸自の歌姫」とも言われ、いわば「官製アイドル」として活動している陸上自衛隊の女性自衛官が登場し、軍歌「海ゆかば」を歌ったというのです。これまでも、マイナーなアイドルが軍歌を歌うことはありましたが、あくまでマニアの間でのことでした。しかし現役自衛官が「海でも山でも、天皇のそばで死ぬ覚悟だ」という歌を歌うというのは、レベルの違う話です。軍歌を純粋な「音楽ジャンル」の一つとして親しんできた私ですが、さすがに誰も違和感を持たないのか、と怖くなりました。

 政治権力は常に文化芸術やエンターテインメントを利用しようとするものです。近年では、動画投稿サービス「ニコニコ動画」によるイベント「ニコニコ超会議」には、後援団体に中央省庁の名前がずらっと並んでいます。自衛隊が戦車を置いて、参加者と写真撮影するイベントもありました。自衛隊の協力を得て作ったり、実際の自衛官募集ポスターに使われたりした人気アニメもあります。

 こうした例は、文化業界を発展させるメリットもあり、政治とコラボすることが、必ずしも否定されるものではないかもしれない。でも文化を発信する側が国家権力と結びつけば表現の幅は狭まるし、何より途中で抜けることが難しくなります。軍歌の歴史が教えてくれる、その危険性を、文化業界が分かっていればいいのですが。(聞き手・守真弓)

     *

 つじたまさのり 84年生まれ。軍歌を中心に戦時下のプロパガンダを研究している。著書に「ふしぎな君が代」「たのしいプロパガンダ」など。

 

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 ■「美しさ」の追求、潜む排他性 早川タダノリさん(編集者)

 「美しい国へ」

 安倍晋三首相が、そんなタイトルの本を著してから10年。いま、「美しい日本」というシンボルによって人々が糾合され、動かされようとしている――。

 第2次大戦時の出版物や広告がいかに「国民精神総動員」に寄与してきたか、その歴史を探索してきた私の目には、そう映ります。

 ■もやもやの理由

 昨年11月、東京・日本武道館で開かれた「今こそ憲法改正を!1万人大会」には、安倍首相がビデオメッセージを寄せました。

 主催した「美しい日本の憲法をつくる国民の会」は、作家の百田尚樹氏が監修、俳優・津川雅彦氏が語りを担当する憲法改正啓発映画を製作するなど、活動を活発化させています。新年、初詣に訪れた神社で、憲法改正の署名集めに遭遇された方もいるでしょう。

 大会の1カ月前にはその津川氏が座長を務める、安倍首相の私的懇談会「『日本の美』総合プロジェクト懇談会」の第1回会合が首相出席のもと、開かれました。

 「日本人の美意識や、自然への畏怖(いふ)、礼節、忍耐といった日本人の価値観が表出した日本の文化芸術」の振興や国内外へのアピール策を検討する会議です。津川氏はこうあいさつしています。「『日本の美』は縄文時代から始まっている」「自然を愛する心が、今日にまで至っている」、その証拠が、東日本大震災の被災者が「『我慢』『忍耐』『礼節』という美しい心を見せた」ことだと。

 この論法が高じると、我慢しない被災者は「美しくない」ことになりかねない。「美しい日本」の称揚は、恣意的(しいてき)につくられた「日本人の価値観」を共有しない者を排除することと表裏一体です。

 さて、先の「美しい日本の憲法をつくる国民の会」の代表発起人には、トイレ掃除の指導などを行うNPO法人日本を美しくする会」相談役の鍵山秀三郎氏も名を連ねています。昨春、会が主催する、学校の先生たちを対象にした研修会を観察しました。靖国神社をトイレ掃除実技の舞台に選び、それは丁寧に、ひたむきに、素手で便器を磨き上げていく。

 参加者の多くは思想や政治信条とは関係なく、自己啓発の一環として活動を捉えているようです。

 会の活動は、善意に基づいた、掃除という文句なしの善行です。メディアも再三、好意的に取り上げています。会のホームページには、宗教や集票とは関係ない「心磨き」の会である、掃除を通して「心の荒(すさ)み」と「社会の荒み」をなくす、とあります。

 ……でも、もやもやするんです。私は。どうしても。

 例えば鍵山氏ら有志は、在沖縄の米軍基地に反対する人たちが基地のフェンスに結んだテープなどを除去する活動にも参加しています。政治的な表現行為は、街を汚すというだけで、取り除かれるべきなのか。「美」は果たして、いかなる時も正義なのでしょうか。

 ■「漂白」に転化も

 「美しい日本」が好き、というメンタリティーは、「この美しい日本を汚すやつは許せない」に転化しかねない。常にというわけではありませんが、その危うさには十分注意すべきです。

 「反日」「売国奴」という呪文は、それを唱える人にとって洗剤みたいなもので、「汚れ」を排除し、漂白したいという欲求をはらんでいるように思えます。

 戦時中の修身教科書「ヨイコドモ」には、「日本ヨイ国、キヨイ国。世界ニ一ツノ 神ノ国」とうたわれています。「神の国」は清くなければならないわけですね。

 いま、当時と同様、国家の神聖化と異物の排除が同時進行していないか。「美」は称賛されるべきものかもしれませんが、「理詰め」の議論が、「美」という観点からは毛嫌いされることも多い。それが回り回って暴力を引き寄せた歴史は世界にいくつもある。政治の世界に「美」が持ち込まれると、ロクなことにならない。私はそう思います。(聞き手・高橋純子)

     *

 はやかわタダノリ 74年生まれ。骨董(こっとう)市や古書店に通いつめ、各種プロパガンダ資料などを収集。著書に「神国日本のトンデモ決戦生活」、共著に「憎悪の広告」など。
    −−「耕論:快さの裏側に 辻田真佐憲さん、早川タダノリさん」、『朝日新聞』2016年02月03日(水)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12190902.html


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