日記:国家が管理する善悪をデフォルトで信頼しても詮無い話という(ry

Resize0747


最近「公安がマークしているから危険だ」という話をよく聞きます。

確かに「公安がマークしているから」その対象を危険と認識するのは字義通りだと思います。ただ同時に考えなければならないことは、「公安がマークしているから危険だ」という論理は、「特高がマークしているから危険だ」というのと同じであることを失念してはいけないという話です。

公安も特高もマークしますよ。その存立を脅かす相手に対しては……。

私自身は暴力的変革にはいかなる意義をも見いだせませんが、国家そのものが暴力機関であること、そして人間の実存にとって最大の負荷である国家悪の象徴ということを失念して「公安ガー」といっても(ry

対立者と議論することは必要なのですが、その議論に国家悪を利用しても詮無い話なんですわ。「今がよければ」なんでも利用するという浅薄さなのでしょうが、国家悪というものを無視し利用し続けて手先になってしまってどうするのという話ですから、生産的な議論をして欲しいとは思います。老婆心ながら

国家がマークしているからやばいやんけ!ってところにだけ集中したら、イエス日蓮もやばいおっさんという痛い話になりますぜ。

別にすべからく対峙し続けなければならぬという感じで24時間眉間にしわを寄せ続ける必要はないと思いますが、例えば国家に認定されたり持ち上げられたりすることをもって「俺たち最強!!!」っていうのはただのマヌケでしょう。

デフォルトで国家を信頼したり、性善説に立とうとすること自体、阿呆でしょう。


Resize0327