覚え書:「昭和史のかたち 『占領憲法』の発想=保阪正康」、『毎日新聞』2016年2月13日(日)付。

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昭和史のかたち
占領憲法」の発想=保阪正康

毎日新聞2016年2月13日 東京朝刊

コラージュ・末松久奈

時代錯誤で史実に不見識

 安倍晋三首相は、憲法改正(特に9条)を7月の参院選の争点にするようだ。正面から争点にすることは近年の選挙ではあり得なかっただけに、その政治姿勢はほめられていい。もっとも、現在盛んに9条改正を主張していて、選挙時には口にしないで、もし勝利したら「9条改正は認められた」との詭弁(きべん)を弄(ろう)する恐れもある。

 安倍首相の憲法観には、「現憲法占領憲法」との抜きがたい信念があるようだ。3日の衆院予算委員会でも、「占領時代に作られた憲法で、時代にそぐわなくなったものもある」(本紙4日朝刊)と答えている。あれこれ改正の必要性を訴えるにしても、その土台にあるのは占領憲法への不信感だ。憲法発布から70年近くを経ているというのに、いまだに占領憲法との発想は明らかに時代錯誤であり、不見識だとも言えるだろう。

 あえて二つの理由を挙げたい。第一は、占領憲法とかマッカーサー憲法と主張する人たちの憲法改正論はこの60年余、実行力を持たなかったことだ。第二は、憲法制定プロセスに日本側の主体的意思もかなり関わっているのであり、逆に日本政府が示した案(幣原喜重郎内閣の松本委員会=松本烝治委員長=の甲案、乙案など)の無責任さの方が際立っていることだ。これらのことを吟味していけば、今や占領憲法などという語は、安倍首相とその同調者しか使わない死語といっていいのではないかと思う。

 第一の点についていえば、私はかつて、1956(昭和31)年3月の「第二十四回国会 衆議院内閣委員会公聴会」の議事録をそのまま編んだことがある(「50年前の憲法大論争」、保阪正康監修・解説、講談社現代新書)。当時自民党幹事長の岸信介ほか60人の議員は憲法改正を企図して、内閣の中に憲法調査会の設置法案を提出したが、そのために公聴会を開いた。この公聴会に出席した公述人、議員の改正賛成・反対の論点がきわめてわかりやすく、加えてその後の論議の方向性を決めることになったからである。

 改正賛成の神川彦松(元東京帝大教授、日本学士院会員)は、占領下には国民に自由がない、国家主権もない、占領下の五つのD政策(ディスアーマメント=軍備撤廃=など)に支配されていたとして、憲法それ自体を無効として弾劾している。次のようにも言っている。

 「いまの憲法というものは占領憲法だ。じつはそういうことを言い出したのは、日本において私が初めてなんです」「日本は再軍備をしなければ国家にならない。いつまでも(アメリカの)植民地、属国だから(略)アメリカの勢力を排撃するために私はやっておるのであります」

 神川は政治的に右派のけん引役だったが、講和条約発効後の日本は、占領下の憲法さらにはその他の法令、改革の全てを総否定した上で、再スタートしろと主張していた。安倍首相の用いる「占領憲法」は元祖の神川ほどの覚悟も説得力もないことがわかる。

 改正反対の側の中村哲、戒能通孝ら政治学者・法社会学者らは、「この憲法は日本の民主化のために作られた」と言い、「基本精神は(略)民主主義と平和主義が基調になっている」と述べている。「押しつけ憲法」などというのはその制定プロセスを無視した暴論と断言している。

 神川に代表される憲法改正論は、この60年余、政治的影響力を持ち得なかったことを、私たちは改めて確認しておく必要がある。

 第二の点についていえば、アメリカ側は憲法草案などまったくもってなく、むしろ草案作りは日本側に一任する形になっていた。当初は東久邇内閣の国務相だった近衛文麿が、内大臣府御用掛の肩書で佐々木惣一らと草案作りを行った。しかし一方で、幣原内閣の中に松本委員会を作り、草案作りを進めている。この草案の一つが、大日本帝国憲法と同工異曲で民主化にそぐわないと、毎日新聞がすっぱ抜いている(46年2月1日)。

 それに激高した連合国軍総司令部(GHQ)が独自に草案を作り、日本側に示し、日本政府が改めて草案作りを行ったのである。この草案を、幣原や松本は昭和天皇に示している(3月5日)。天皇勅語を発表するのだが、「昭和天皇実録」によれば、そこには「憲法ニ根本的ノ改正ヲ加ヘ以(もっ)テ国家再建ノ礎ヲ定メムコトヲ庶幾(こいねが)フ」との一節があった。天皇も了解していたのである。

 憲法改正を論じるには、このような制定と改正論議の史実を丁寧に確認する、それが歴史的誠実さということだろう。思い込みだけでの論議は、先達の労を足蹴(あしげ)にしているに等しい。

 ■人物略歴

ほさか・まさやす

 ノンフィクション作家。次回は3月12日に掲載します。
    −−「昭和史のかたち 『占領憲法』の発想=保阪正康」、『毎日新聞』2016年2月13日(日)付。

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