覚え書:「今週の本棚:荒川洋治・評 『新版 更級日記 全訳注』=関根慶子・訳注」、『毎日新聞』2016年2月14日(日)付。

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今週の本棚
荒川洋治・評 『新版 更級日記 全訳注』=関根慶子・訳注

毎日新聞2016年2月14日 東京朝刊
  (講談社学術文庫・1274円)

消えた文章から始まる世界

 平安期日記文学の代表作『更級(さらしな)日記』は、一〇六〇年ころの成立。本書は、定評ある訳注書の新版。六三段(他にも分け方があるが、本書の区分)を原文、現代語訳、語釈、参考の順に精読すると『更級日記』の見方もあらたまる心地がする。作者は菅原孝標女(すがわらたかすえのむすめ)(一〇〇八年生まれ)。父孝標は菅原道真の玄孫。

 父の任地・上総(かずさ)の国から一三歳のとき上京。物語世界にあこがれる少女は、入京の翌年、源氏物語全巻を読むことがかなったが、乳母や姉と死別。晩(おそ)い結婚の前後の宮仕えにも幻滅するなど、いくたの面で現実のきびしさを知り、次第に仏の世界へと傾いていく。

 ほぼ四〇年間を振り返る自伝だが、並みの人生を超えるほどの特別な個性をもつ人とは思えない。心地よい、平明な文章をつないで折々の心境をしるす。

 八段、富士を見る場面。「紺青(こんじょう)を塗ったようであるところへ、雪が消える時もなく積っているので、濃い色の着物の上に白い袙(あこめ)を着たかのように見えて、山の頂上の少し平になっている所から煙は立ちのぼる。夕方は火が燃え立つのも見える」。燃えている富士山の記録は大変貴重だが、人物の回想も印象的だ。

 七段。「足柄山(あしがらやま)という山は、四五日前から恐ろしいように暗く続いて見えていた」のくだりには、山を見ながら一日一日を歩く旅のようすが目に浮かぶ。暗い夜、「遊女が三人どこからともなくあらわれ」、「空に澄みのぼるように上手に歌をうたう」場面。「見た目がまことに小ぎれいなうえに、声までたぐいないほどに歌って、あんなにもの恐ろしげな山中に立って行くのを、人々は名残惜しく思ってみな泣くのだが、私の幼な心には、まして悲しく」とつづく。

 闇のなかへ消える遊女たちの姿は、強く心に残る。当時の人は遊女たちをどう見たのか。どんな歴史書にもまさる鮮やかさで、心の風景を伝えてくれる。

 このときの出会いは、一二段、尾張・美濃の境の野上(のがみ)で遊女を見たときにも思い出され、足柄の女性たちのことが「しみじみと恋しくてたまらなかった」。さらに五八段、三〇年以上あとの高浜(大阪)にも引き継がれる気配。「作者がこれらの遊女の姿を描くところには、男性とは違った感情で、そのあわれさが胸にしみるのであったろう」(本書)。こうした小さな情景一つにも、物語がある。

 五四段「越前の友」は、昔とても仲の良かった人が、越前守(えちぜんのかみ)に嫁いでからは消息がなかったが、ようやく便りがあったことをしるす。五七段「筑前の友」も、親しかったのに筑前に行ってしまった女性のことを懐かしさのあまり、夢に見るもの。短い文にも、作者の思いがしのばれ、胸があつくなる。

 平均すると、年に一段半。一つか二つの話にとどまる。火事で家が焼けたことも、さらりとしるす程度。大きな区切りとなることにも、あまりふれない。それは作者の生き方、人生の見方を示すものでもある。

 各段は、ふとどこからか水がわきでるように始まるものが多く、そこからきれいな流れが生まれる。一段の文章の前に、思いを語りきり、完結した文章のようなものが作者の内部にあるが、その起点となったものは文字としては消滅し、そこから現実の文章が始まる。それがこの回想の基調であるように思う。

 文章として現れているところだけを文章とみることにならされた後代の人からは、このような世界は生まれにくい。『更級日記』を読むと、消えたもの、いまは見えないことさえも、いつの日か感じとれる。そんな気持ちになる。
    −−「今週の本棚:荒川洋治・評 『新版 更級日記 全訳注』=関根慶子・訳注」、『毎日新聞』2016年2月14日(日)付。

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