覚え書:「書評:1★9★3★7(イクミナ) 辺見庸 著」、『東京新聞』2016年02月14日(日)付。


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1★9★3★7(イクミナ) 辺見庸 著

2016年2月14日


◆戦後が封じた記憶を暴く
[評者]成田龍一日本女子大教授
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 一九三七年は、日中戦争の始まりの年であり、中国の旧首都・南京で、日本軍による虐殺があった年である。「戦後七十年」が喧伝(けんでん)され、戦争の「終わり」からの時間が議論された二○一五年に、著者は、この「はじまり」の年を想(おも)い起こすことによって状況に向き合っていく−時代は、いまや戦争だ、と。厳しい状況認識だが、これは、一九三七年にあったことを封印し、「壮大な沈黙と忘却」をなしてきた「戦後」、そして、敗戦後もほとんど無傷で生き残った「ニッポン」という「メカニズム」への批判的検証へとなってゆく。著者は、あえて「記憶の『墓をあばく』」営みをおこなうのである。
 入り口になるのは堀田善衞『時間』(一九五五年)。現在では忘却されている小説だが、南京での日本軍の行動を隠さず描いたこの作品を著者はいまの状況のなかで読み解き、戦時の状況をあわせて解説し、戦争の様相に迫る。
 とともに、本書は一九四四年生まれの著者が、「皇軍兵士」として中国に赴いた父と向き合い、父の戦時の行為と戦後のありようを考察する書でもある。戦後に新聞記者となった父が記した文章での「無意識の脱落」を、著者は厳しく追究する。これまた、身を切るような営みである。近年では、『永遠の0(ゼロ)』など、父母(=戦後)との格闘を避け、祖父母−孫の関係から戦時をほしいままに解釈する物語が目立つ。かかる風潮のもと、本書は「戦後」の戦争の語りのなかの「黙契」をあぶりだし、それと格闘する著作となっている。
 著者はこうして、戦時と戦後、そして<いま>との三つの時空間を往還しながら、感情の襞(ひだ)に入り込むようにして戦争との向き合い方を検討し、「ニッポン」を解析していく。粘り強い思考とうねるような文体、さらに独特の表記がこの営みにいっそうの迫力をもたらす。これは決して「戦後」の暗部を撃った書ではない。「戦後」そのものを晒(さら)しだす、痛烈な批判の書である。
(金曜日・2484円)
 <へんみ・よう> 作家・評論家。著書『もの食う人びと』『抵抗論』など。
◆もう1冊 
 堀田善衞著『時間』(岩波現代文庫)。南京を占領した日本軍の暴挙を中国人知識人の視点から描き、歴史と人間を問う戦後小説。
    −−「書評:1★9★3★7(イクミナ) 辺見庸 著」、『東京新聞』2016年02月14日(日)付。

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