日記:認知症閉鎖病棟から「総活躍」について考えてみる
久しぶりの「病院日記」。
病棟から「総活躍」について考えてみた。
精神科(認知症閉鎖病棟)に移って一週間経ちましたが、これほど「きつい」とは思ってもおりませんでした。医療だけでなく介護・福祉の現場の離職率が「高い」というのを肌で実感した次第です。今週中にはコルセットを準備しないと身体が持たないというのが正味のところです。身体作りなおさないと(涙
— 氏家法雄 (@ujikenorio) 2016年4月10日
神経内科(パーキンソン等難病)から精神科閉鎖病棟を経て認知症閉鎖病棟に渡り歩きましたが、共通するのは「言葉」を「あいまい」にしない所でしょうか。パターナリズムの度合いはアップしましたが、現在の職場は拘束を極めて敬遠することには瞠目。ただその分、フォローの度合いが高い訳ですが。
— 氏家法雄 (@ujikenorio) 2016年4月10日
認知症に関わらずセルフコントロールに難儀すると、手助けは不可避。今、お世話している方々は、オイルショック後の低成長期を下支えしてきた人々で、現下の総活躍言説とその収斂先を仕事をしながら反芻。動けない=何かに貢献できないと人間として値打ちがないのか?人間を馬鹿にしたアホくさい話です
— 氏家法雄 (@ujikenorio) 2016年4月10日
その個人が他者に関わっていく、貢献していく…ということは字義通り素晴らしいことだと思いますが、僕たちはその美談に酔い、その消費に魂を抜かれてしまっているのではないだろうか。人間が人間として尊いということは、役立つ連鎖で輝いているからだけではないはずなのに。そこが恐ろしい盲点と思う
— 氏家法雄 (@ujikenorio) 2016年4月10日
人間が他者に関わっていく、苦境を跳ね返し生産性を高めていく…悪い話ではないですよ。そして対局の怠惰を肯定するものでもありませんよ。しかし、最終的にはその総活躍の連鎖はこの国では、個々人の繁栄ではなく、国家の繁栄な訳ですよ。そのちょっとしたズレには敏感にならないと恐ろしいことになる
— 氏家法雄 (@ujikenorio) 2016年4月10日