覚え書:「メディア時評:政治的公平性を判断するのは誰か=文筆家・立教大特任教授、平川克美」『毎日新聞』2016年03月05日(土)付。

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メディア時評
政治的公平性を判断するのは誰か=文筆家・立教大特任教授、平川克美

毎日新聞2016年3月5日 東京朝刊


 政権に批判的な意見を述べることは、政治的中立性を欠くということなのか。テレビ局各社の看板キャスターの交代が、政権の圧力によるのか、単なる編成上の理由なのかはひとまず置いてもよい。

 先般、国会において、高市早苗総務相が、放送法4条の「政治的公平性」を理由に、それに反する内容の放送に関しては、一つの番組だけでも放送局に電波停止を命じる可能性があると発言した。

 放送法4条が法規範なのか、放送事業者の倫理規定なのかという問題の前に考えなくてはならない問題が三つある。一つは、放送における政治的公平性とは何かということ。二つめは、その政治的公平性を判断するのは誰かということ。さらに三つめはそもそも、総務省の監督下に放送事業が置かれていることに問題はないのかということ。これらの問題は、当然のことながら憲法が保障する表現の自由の問題にかかわり、同時にメディアの存立理由にかかわる重大問題のはずだが、テレビも新聞もどこか及び腰である。日本の放送事業者の自律性が問われているときに、一部の報道関係者やその代表者が、頻繁に首相と食事の席をともにしている光景を見ていると、彼らはジャーナリストというよりは、権力者のご機嫌を伺うビジネスマンかと言いたくなる。

 2月22日の毎日新聞のオピニオン面では、この問題に切り込んでいる。とくに、放送事業が政府の認可事業であるという問題に関して、欧米先進国の事例を詳しく報じ、その違いを際立たせる記事になっている。米国も、英国も、ドイツも、政府から独立した許認可機関を設けており、放送の自律を担保しようとしている。もちろん、独立した機関といえども、政府の干渉を完全に排除できるとは言えないだろう。だからこそ、放送事業者も、番組担当者も、政府の介入に関しては、極めてナーバスであり、強い警戒感を示す。米国は、マッカーシズムへの反省があり、ドイツはナチスによって放送がプロパガンダに利用されたことに対する反省がある。日本においても、戦後間もなく「電波監理委員会」があったが、吉田茂内閣によって、その権限を郵政相(現在の総務相)に移された。

 政治的中立の概念は曖昧である。それを総務相が判断すること自体すでに政治的だ。必要なのは、政治的中立ではなく、放送の自律である。中立性の判断をするのは視聴者であって、政権ではない。(東京本社発行紙面を基に論評)
    −−「メディア時評:政治的公平性を判断するのは誰か=文筆家・立教大特任教授、平川克美」『毎日新聞』2016年03月05日(土)付。

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