覚え書:「今週の本棚:高樹のぶ子・評 『薄情』=絲山秋子・著」、『毎日新聞』2016年03月13日(日)付。

Resize1344


        • -

今週の本棚
高樹のぶ子・評 『薄情』=絲山秋子・著

毎日新聞2016年3月13日 東京朝刊

 (新潮社・1620円)

やみつきになる脱力感の心地良さ

 不思議な小説である。いつもなら一気読みする。小説とはそうしないではいられないものだと思い込んでいたが、何日もかけて少しずつ読んで満足した。

 主人公の宇田川静生は退屈な人間か。そのとおり、かなり退屈だ。三〇歳前後で独身、農作業などのバイトをしながら、群馬の故郷で適当に暮らしている。将来は親戚の神主業を継ぐことになっていて、焦って人生を造らなくても良い。最低限の保障はある。何かに集中するわけでもないので、喜怒哀楽の熱さからも遠い場所で生きていられる。

 羨ましいような羨ましくないような。

 本人に欠落感や焦慮が無いのだから、羨ましい人生と言えるだろう。

 この主人公の低体温ぶりを、作者は薄情つまり情が薄いと見ているけれど、それを批判的には描いていない。批判的に描けば、現代の若者に蔓延(まんえん)する病を嘆く作品になるが、むしろゆるりと眺めて、まあ良いか、とやわらかく同伴している。

 もちろん、周辺ではあれこれと事が起きる。地元の市の援助で借りている家屋で、木工などを行う鹿谷(しかたに)という都会から来た男は、何となく地元の人間の社交の中心になる。宇田川も一緒に鍋をつついたり、軽く世間話をしたりするし、知り合いも出来る。

 やがて鹿谷は、宇田川の下級生の蜂須賀と性関係を持ち、あげく東京の家族とトラブルを起こし、市から借りていた家屋を失火で焼いてしまう。

 宇田川は元々恋愛感情に乏しく、蜂須賀への気持ちも友達以上のものではないけれど、この事件前後から、都会の男鹿谷への感情は悪化する。悪化と言っても、憎しみや嫌悪というほどの強い感情ではなく、むろん嫉妬でもない。ただ地元と都会の人間の境界が、以前より一層自覚されてくるのだ。

 これが宇田川に起きるもっとも大きな事件と言えるが、他にも身辺にあれこれと事は起きる。恋愛とは言えないけれど、好ましい女との性関係があり、一泊の温泉旅行にも行くのだが、この女は婚活中だそうで宇田川は振られてしまう。馬鹿(ばか)馬鹿しいという感情は抱いても激しい自虐には至らない。つまり性関係もその程度の熱しかないのだ。

 鹿谷の工房に来る山井は一人娘を亡くしていて、鹿谷が「大事なものを失ったひとには凄(すご)みがある」と言ったのを、意味深く思い出したりする。宇田川には言えない台詞(せりふ)。あれこれ自問し、自分たちの街を「なんでも消えていく街」だと考えたりもする。おそらく消えて行くものの中に宇田川自身も入っているのだろう。

 この薄情で低体温で、けれど悪意とも無縁な男のぐだぐだした日常の退屈感が、では不愉快かと言えば、いつしかやみつきになり、日を置いてまた、そろそろあの宇田川はどうしているかと、続きを読みたくなる。

 私自身小説家として、長編の中に何らかの因果関係を置く。人は何かが起きて、何かを為(な)す。その連なりが物語になる。けれど宇田川は自分の身に起きることを理由に行動を起こしたりしないし、そもそも彼にとっては行動を喚起する重大な出来事など無いのである。だからいつ読み始めても宇田川はそこにいるし、ぼそぼそと呟(つぶや)きながら読者を待っている。

 宇田川の魅力とは何か。社会人として日々の拘束があれば見ずに通り過ぎるしかない身辺の事象への、時間の余裕があるゆえに意外にも深く届く認識。そして明るい脱力感の心地良さだ。
    −−「今週の本棚:高樹のぶ子・評 『薄情』=絲山秋子・著」、『毎日新聞』2016年03月13日(日)付。

        • -




今週の本棚:高樹のぶ子・評 『薄情』=絲山秋子・著 - 毎日新聞



Resize1058



薄情
薄情
posted with amazlet at 16.04.18
絲山 秋子
新潮社
売り上げランキング: 186,966