覚え書:「今週の本棚 内田麻理香・評 『中谷宇吉郎 雪を作る話』『寺田寅彦 科学者とあたま』」、『毎日新聞』2016年03月27日(日)付。

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今週の本棚
内田麻理香・評 『中谷宇吉郎 雪を作る話』『寺田寅彦 科学者とあたま』

毎日新聞2016年3月27日 東京朝刊

  (平凡社STANDARD BOOKS・各1512円)

師弟で友人、存在が共鳴
 文学と芸術は科学と相容(あいい)れないか。雪の研究で名を成した科学者ながら、科学随筆を書いた中谷宇吉郎(なかやうきちろう)の文章を読むと、それら二つが科学と融合していると思わざるを得ない。雪の結晶の随筆を読むと、科学的な解説の中に、雪の結晶の美が浮かび上がってくる。

 中谷は、寺田寅彦の教え子であり、友人であった。寺田寅彦夏目漱石の愛弟子であり、あの『吾輩は猫である』の登場人物であるヴァイオリンを弾く科学者、水島寒月のモデルになったと言われている。その寺田は、俳人でもあり、優れた科学随筆を数多く残した。一部では有名な科学随筆家ではあるが、今回取り上げる中谷は寺田よりも無名だろう。

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 寺田と同じように、中谷は文章を著す才能があった。「雪は天から送られた手紙」というロマンチックな言葉は、雪を研究する第一線の科学者でありつつ、言葉を綴(つづ)る才能を持った中谷ならではだ。

 中谷は、科学随筆だけでなく、雪に関する科学映画を作るほど、科学教育への熱意を持っていた。本書での「簪(かんざし)を挿した蛇」は圧巻だ。紙芝居を利用して児童の科学普及をしたいという者に対し、「電気の知識なんか、紙芝居には勿体(もったい)ないですよ。それよりも孫悟空でもおやりになったら如何(いかが)です。その方が科学の普及と言ってはどうか分りませんが、将来の日本の科学の為(ため)には役に立つでしょう」と答えたという。中谷は仏教の盛んな土地で小学校時代を過ごし、科学的な教育を受けてこなかったという。しかし、仏壇を見ながら星雲もなかった頃の宇宙創成の日を頭に思い浮かべていたらしい。

 科学的知識の教育も大事だが、自然に対する驚異の念を深めることが科学教育にとって最も大事だという。そのために、非科学的な海坊主や河童(かっぱ)を知らない子供は可哀想(かわいそう)と述べる。師の寺田は「化物の進化」で、「『ゾッとする事』を知らないような豪傑が、仮に科学者になったとしたら、先(ま)ずあまりたいした仕事は出来そうにも思われない」と指摘した。これも中谷と寺田には通じるものがある。

 科学に対する興味は自然に対する敬意によって養われる。これは、子供の頃に接した奇想天外なものや、化物などに対して抱かれたりするというのが両者の共通した考えだ。当時の科学教育は、知識の伝達を大事にするあまり、その手の非科学的なものを子供から排除しすぎではないだろうかと懸念する。これは今の科学教育にも通じる示唆であろう。確かに、想像の翼をはばたかせることができない者が、科学者になれるものか。

 中谷は師匠の寺田を心から尊敬していたのだろう。中谷の「簪を挿した蛇」が寺田の「化物の進化」と合わせ鏡となっているように、問題意識も近い。しかし、単なる弟子なのだろうか。

 いや違う、彼には彼のオリジナリティーがある。寺田の作品は、漱石の門下生だけあり、文学的側面が色濃く出ている。一方、中谷は科学者として、科学者の営み、科学的な事象の記述を魅力的に、真摯(しんし)に描いている。それは、両者の同じ題の「線香花火」を読み比べてみるとわかる。寺田は科学随筆として線香花火が科学の研究の題材として適している点をアピールしたが、当時、寺田の学生であった中谷は実際に線香花火について実験した経緯を丁寧に、素人にもわかりやすく記述している。

 二人は師弟でありながら、友人でもあった。お互いの存在が共鳴していたとするならば、その相違を云々(うんぬん)するのは野暮(やぼ)な試みか。
    −−「今週の本棚 内田麻理香・評 『中谷宇吉郎 雪を作る話』『寺田寅彦 科学者とあたま』」、『毎日新聞』2016年03月27日(日)付。

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今週の本棚:内田麻理香・評 『中谷宇吉郎 雪を作る話』『寺田寅彦 科学者とあたま』 - 毎日新聞


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