覚え書:「昭和史のかたち:代表的日本人=保阪正康」、『毎日新聞』2016年04月09日(土)付。

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昭和史のかたち
代表的日本人=保阪正康

毎日新聞2016年4月9日 東京朝刊
 
終戦争と小日本、柄谷理論

 外国人に、日本人の思想や倫理、それに生活規範を知りたいときに読むべき本は何かと聞かれることがある。あるいは日本人として国際社会に注目すべき論を発している人は誰かとの質問を受けたりもする。

 私は6人の日本人の名を挙げ、これらの人物はもっと国際社会で知られてもよいと答えている。6人とその代表作は、渋沢栄一論語と算盤(そろばん)」▽鈴木大拙「禅」「日本的霊性」▽新渡戸稲造「武士道」▽石原莞爾(かんじ)「世界最終戦論」▽石橋湛山大日本主義の幻想」▽そして最も新しい書になるのだが、柄谷行人の「世界史の構造」−−である。もとより、この中の渋沢書や鈴木書は、私たちも簡単には読みこなせない。鈴木の「禅」などは当初英語で書かれている。新渡戸の「武士道」などもそうである。その訳書(意訳の書も多いというが)を通してでも、私たちもある程度の輪郭はつかむことができる。

 国際社会でなぜこの6人を知ってほしいと熱望するか。理由は簡単だ。人類史の動きに関わっていると思えるからだ。渋沢は、資本主義理論の実践にあたっては何より根本哲学が必要だと訴えている。そしてその哲学を論語に求めている。鈴木は、自己省察の極致を見極めるその骨格を示した。仏教思想の日本的理解が分かる。新渡戸は、日本社会に宗教教育がないことに驚いた欧米の知識人に向けて、幕藩体制下での武士の倫理徳目(義、勇、仁、礼、誠、名誉、忠義など)の解説を行った。アリストテレスからベーコンやヘーゲルまで引用しながら、この徳目の強さをわかりやすく説き続けている。

 では昭和という時代の中から石原と石橋をなぜ選ぶのか。他にも人類史に貢献した人物や論者がいるのではないかとの声もあろう。だが私は、石原は日本の軍人の中では傑出した思想的軍人だと思う。明治以後の軍人の系譜を見たときに、全集を刊行しているのは石原だけである(石原莞爾全集刊行会、全8冊)。

 石原は大正時代にドイツ留学を命じられ、そこで欧米の軍事哲学書を読破した。そして自らの理論を作り上げた。世界平和は最終戦争(東洋と西洋の覇者の争い)のあとに訪れる。戦争の形態も石から始まり、やがて地球を一周する飛行爆弾を持つことにより最終戦争が行われると予想していた。日本とアメリカがその最終戦争によって支配の争奪を行うという論である。

 確かにゆがみの伴った論ではあるが、これだけの軍事論を作り上げた軍人は、世界を見てもほとんどいない。満州事変から太平洋戦争まで、石原の論が影響していることは否めない(石原は太平洋戦争前に東条英機により軍を追われている)。そういう石原をなぜ世界に知らせたいのかと問われるのだが、私の答えは次の点に絞られるのだ。

 石原は敗戦から4年後の8月15日に病死している。この4年間に彼は自省ある言を次々に口にしている。「(世界最終戦争を)予想した見解は、はなはだしい自惚(うぬぼ)れであり、事実上明らかに誤りであったことを認める」「武装解除を悲しむ日本人よ。敗戦の神意であることを沈思せよ。武器なき日本は、世界にさきがけて最高文明社会を建設し、身をもって人類史を恒久平和世界に導くべき天命を拝受したのである」

 この4年間の自省の弁と共に石原を紹介しなければならない。さらに石橋の「大日本主義の幻想」は、1921年の「東洋経済新報」の社説だが、石橋は各種データを論じて、大日本主義はまったくの無価値と説いた。帝国主義政策を取らず、小日本主義に徹せよとの論は、前述の石原の世界最終戦論と共に対をなす形で語られるべきであろう。

 皮肉なことに、というべきだが、石原が戦後の4年間に石橋のこの小日本主義と通じる論に傾いたことは、私たちに重要な示唆を与えている。近代日本の誤りがどのような結論に達するのか、そのことを国際社会に向けて発信する必要性を、私は強く感じる。

 柄谷の「世界史の構造」は、日本が世界に向けて発信した人類史の新段階への理論書である。マルクス主義が現実に有効性を失ったあとに人類は、新しい理論を求めている段階にある。柄谷はこの書で「私が『生産様式』ではなく『交換様式』という観点から歴史を見直すというとき、それがマルクス主義の通念と異なることは明らか」としつつも、「マルクスと異なるものではない」と断じている。この交換様式という視点で歴史を見直し、現在の資本制社会の未来を理論化するのである。その論は難解で、私も十分理解できない。ただ、各国で次代の新理論として注目されているだけに、まずは私たちも咀嚼(そしゃく)する必要があるだろう。

 ■人物略歴

ほさか・まさやす

 ノンフィクション作家。次回は5月14日に掲載します。
    −−「昭和史のかたち:代表的日本人=保阪正康」、『毎日新聞』2016年04月09日(土)付。

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