覚え書:「憲法を考える:立憲主義と保守 東京工業大学教授・中島岳志さん」、『朝日新聞』2016年04月13日(水)付。

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憲法を考える:立憲主義と保守 東京工業大学教授・中島岳志さん
2016年4月13日


「今の自民党は党内の異論を認めず、逆らう人間は排除していく。中国共産党に似てきています」=山本和生撮影

 ものごとを変えたがらないはずの保守が「憲法を書き換えろ」と言い、革新が好きなはずのリベラルが「絶対に変えるな」と言う。ふだん当たり前に受け止めているが、考えてみれば、ねじれている。そこで、「保守」を自任する日本思想史の研究者・中島岳志さんに聞いてみた。この議論って、どこか変じゃないですか。

 ――3月、安倍晋三首相が、自民党総裁任期中の改憲に言及しました。民進党は結党大会で立憲主義を守ることを強調しています。憲法立憲主義をめぐる今の議論をどう見ていますか。

 「保守が改憲、リベラルが護憲という単純な図式で論じられているのが問題だと思います。そもそも立憲主義は、本来、保守的な考え方に立った思想です」

 ――立憲主義が保守的、とは?

 「それには、まず保守とは何かを知らなくてはなりません。保守思想の祖といわれる18世紀英国の思想家エドマンド・バークは、フランス革命を厳しく批判しました。彼が何に批判的だったのかを突き詰めていくと、フランス革命の背後にある人間観です。人間は優れた理性で世の中を合理的に設計し、完全な社会をつくることが可能だという考え方に、バークは異議を唱えた。そうしたものが、むしろ寛容性を失わせ、他者に対する暴力や専制政治を生み出すと考えたんです」

 「では、バークはどんな人間観を持っていたのか。人間の理性は不安定で、どんな優秀な人間でも世界すべてを把握することはできない。不完全な存在である人間が構成する社会もまた永遠に不完全であるはずだ。しかし、安定した平和的秩序はつくっていかなくてはいけない。そのとき、長年の風雪に耐えてきた良識や慣習、伝統といった経験知に依拠すべきだとバークは考えました。これが本来の保守です」

 ――それが憲法立憲主義とどう関係するのでしょうか。

 「立憲主義は、国民が憲法という禁止条項で権力を縛るものです。その根底にあるのは、人間の理性には限界があり、必ず間違いを犯す、権力者も時に暴走してしまうという保守的な人間観です」

 「さらに保守は、国民の中に、『過去の国民』を含めます。僕は『死者の立憲主義』と呼んでいますが、今生きている人間だけではなく、過去の膨大な経験や試行錯誤の蓄積が政府を縛っている。権力や民主主義が暴走して、多くの犠牲が出た。保守は、そうした死者の経験知を踏まえた安全弁として憲法を考えます」

 ――憲法が過去の蓄積からできているなら、簡単に変えてはいけないということになりませんか。

 「憲法を変えてはならないというのは、ある特定の時代の人間を特権化することにつながります。日本国憲法制定に関わった人たちだけが、この国のあり方を決定し、明文化できるというのはおかしい。彼らもまた不完全な人間であり、彼らのつくった憲法も不完全であるはずだからです」

 「社会は変わっていきます。何かを保守するためには、少しずつ変えていかなくてはならない。長く続いている老舗は、創業者が作ったレシピをまったく変えないわけではない。技を継ぎながら、時代に合わせて少しずつ変える。それと同じで、憲法も少しずつ変えていくべきです。ただ、一気に変えようとしてはいけない。抜本的な書き直しをすると、革命のようなことになってしまう」

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 ――「保守的」とされる自民党改憲草案は、憲法を一気に書き換えようとするものですよね。

 「あの改憲草案は、非常に『革新』的です。これまで合意されてきた規範や憲法解釈を一気に変えてしまおうとしている。その態度は保守というより、むしろ左翼的なものに近いと思います。蓄積されてきた死者たちの英知をどんどんはぎ取ろうとしている」

 「安倍さんのように『憲法を一気に変えてしまおう』という人と、『一文たりとも変えるべきではない』という『護憲派』は、特定の人間が絶対的に正しいものを設計できるという設計主義に立っている点では、同類だと言えます。本来の保守は、そのどちらの考え方も採りません」

 ――では、本来の保守が考える改憲とはどういうものですか。

 「憲法を保守するために『死者との対話を通じた微調整』を永遠に続けていくことです。70年前に比べ、社会の状況が大きく変わっています。想定できなかった科学技術の出現で、生命の問題も揺らいでいる。戦後憲法だけでなく、明治憲法も含めて、憲法学者や裁判官などが行ってきた解釈の蓄積の上に、時代に合わせてどう微調整するかを丁寧に考えていく」

 「僕は、今の憲法の大部分は変える必要がないと思っていますが、やはり微調整は必要です。特に9条は変えるべきです」

 ――なぜ9条ですか。

 「端的にいえば、9条を変えていかないと、平和と立憲主義を維持することが難しくなると考えるからです。立憲主義憲法で権力を縛るものですが、9条は自衛隊を縛れていない。今の9条のあり方は立憲主義的とはいえません」

 「人間は不完全で、暴力性を持たざるをえない。国際秩序を維持する上で、一定の軍事力が必要であるなら、自衛隊憲法で規定して、歯止めをかけるべきです。絶対に9条を変えるなというのは、自衛隊廃止論を採らない限り、なし崩し的な解釈改憲を拡大させることになり、立憲主義を空洞化させてしまいます」

 ――しかし、戦後の日本は、ずっと9条を変えずにきました。

 「戦後の日本は、9条と日米安保の微妙な綱引きを、絶妙のバランスでやってきました。最後の最後には『わが国には9条があります』と米国にノーを言えた。日本の主権を9条が担保していた。そのやり方には英知がありました」

 「しかし、安倍政権が解釈改憲集団的自衛権の行使を実質的に認めたことで、バランスが完全に崩壊した。となると、自衛隊を明記していない9条は弱い。ならば国民的議論をした上で、9条で、自衛隊はどこまでやるべきか、何をしてはいけないかを明示すべきでしょう。それが平和主義的で保守的な改憲論であり、かつ護憲論だと思います」

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 ――今、憲法をめぐって「保守」と「リベラル」の対立は先鋭化しているように見えます。

 「日本では、保守もリベラルも、本来のかたちからは逸脱してしまっています。本来は、保守こそがリベラルなんです」

 ――保守がリベラル、ですか。

 「リベラルのもともとの意味は『寛容』ですから、自分と異なる価値観の人たちに対して寛容であろうとします。保守も寛容は大切にする。人間は過ちを犯しやすい存在であり、自分も間違えているかもしれない。だから意見の違う相手を排除するのではなく、寛容に耳を傾け、合意形成することを重視する」

 「政治思想の歴史をたどっていくと、寛容を重視してきたのは保守だとわかります。保守は20世紀を通じて、全体主義共産主義という、きわめて非寛容な政治体制を批判してきました。保守でもありリベラルでもあるというのはごく当たり前のことで、英国のキャメロン首相は保守党ですが、『自分はリベラル保守だ』と言っています。米国のように、共和党が保守、民主党がリベラルと対置されているのがむしろ例外的なんですが、戦後の日本は米国に引きずられて、保守とリベラルを対立するものと捉え、リベラルが左派を指すようになってしまった」

 ――日本で保守もリベラルも、いや左派も寛容には見えません。

 「双方が、互いを批判するだけが目的の『アンチの論理』でやってきたためでしょう。左派も保守も、自分たちが少数派だと思っている。左派は、ずっと自民党の一党優位体制で保守が力を持ち続けてきたと思い、保守は、言論界も教育現場もアカデミズムも左翼に牛耳られてきたと見なす。どちらも自分たちの言葉が取り上げられないというルサンチマン(怨恨〈えんこん〉)があるから、攻撃し合う。一種の共依存になってしまっている」

 「重要なのは、護憲か改憲かではなく、平和を守っていくためには憲法をどう考えるべきかということですが、アンチの論理のためにまともな議論が成立しない」

 ――保守も左派も、平和主義では一致できるはずだと。

 「去年亡くなった哲学者の鶴見俊輔さんは『日本があの戦争に突入したのは、戦前の左派の力が弱かったからではなく、保守が空洞化していたからだ』と言っていました。鶴見さんにとっての保守とは、石橋湛山、海軍の中で開戦を阻止しようとした水野広徳、帝国議会で粛軍演説を行った斎藤隆夫ら、庶民の良識や英知から戦争に異議を申し立てた人たちでした」

 ――中島さんにとって、保守のあるべき姿とは何でしょうか。

 「この静かな日常を次の世代に受け渡すということが、保守の最大の目標です。そのために永遠の微調整を続け、日々の暮らしを大切にしていく。それが保守です」

 (聞き手・尾沢智史)

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 なかじまたけし 75年生まれ。専門は南アジア地域研究、日本思想史。北海道大学准教授を経て現職。著書に「中村屋のボース」「『リベラル保守』宣言」。
     ーー「憲法を考える:立憲主義と保守 東京工業大学教授・中島岳志さん」、『朝日新聞』2016年04月13日(水)付。

http://www.asahi.com/articles/DA3S12307149.html

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憲法を考える:自民改憲草案・公の秩序:中 生き方規定、息苦しくないか
2016年4月13日

 「誓約書」と書かれたA4判1枚の紙がある。

 「パチンコ、競輪場に立ち入った事は、まじめに努力している他の被保護者に迷惑をかけることとなり誠に申し訳ありません。今後は(生活保護)法第60条を順守し、もし違反した場合は保護廃止されても異存はありません」

 大分県別府市の福祉事務所が作った。同市の職員は年に1回パチンコ店を見回り、生活保護受給者を発見した場合は誓約書にサインさせ、違反が重なると支給停止の処分をしていた。

 昨年末、このことが報じられると、全国から200件を超えるメールが市に届いた。

 「この素晴らしい取り組みを続けていただきたい」

 「もっと税金を投入して強化していいと思います」

 同市社会福祉課によると、9割以上が市を支持する内容で、賛同の意思を示すふるさと納税も4件(9万円)あった。

 しかし、生活保護法にパチンコなどを禁じる規定はない。県から「不適切」と指摘を受け、市は3月、パチンコ店にいたことだけを理由に処分はしないと方針を変えたが、「見直し反対」のメールがいまも届く。

 JR別府駅近くの商店街で理容店を営む男性(47)が言った。「働かずにパチンコするのはおかしいでしょ。モラルの問題で、常識ですよ」。小売店従業員の男性(56)は「市民感情に反しています」と話した。

 生活保護受給者は働かずに、他人が納めた税金で生活している。それを遊興費につかうなんて、許されるはずがない――似たような感想を持つ人が、きっと多いだろう。

 視点を変えてみる。

 「あれをしてもだめ。これをしてもだめ。堂々と生きていけません」。大分市で会った40代の受給者の女性は言った。

 夫は、C型肝炎で土木作業員の職を失い、うつ病で自殺未遂を繰り返すようになった。生命保険のセールスなどをしながら家計を支えたが、夫から激しい暴力をふるわれ、数年前に離婚。自身も病気になり、8年前から生活保護を受けるようになった。4人の子どもがいる。ストレスを発散したいとパチンコ店に行ったところ、市に通報され、受給額を1カ月間半額にされたことがあったという。

 「長女が春から職につくので、私も何とか仕事を見つけて自由になりたい」

 生活保護への世間の厳しい視線を反映するかのように、兵庫県小野市は2013年、生活保護費をパチンコや競輪などに使っている人を見つけたら、速やかに市に通報する「責務」を市民に課す条例を作った。

 改めて考えたい。自分の生き方は自分で決める。これが憲法の大原則だ。私たち一人ひとり、自由と権利を有している。

 申し訳なさそうに肩身を狭くして、清く、正しく生きることを求められる受給者。「常に公益及び公の秩序に反してはならない」(自民党憲法改正草案12条)。憲法がそう規定する社会はおそらくとても、息苦しい。

 (編集委員・豊秀一)
    ーー「憲法を考える:自民改憲草案・公の秩序:中 生き方規定、息苦しくないか」、『朝日新聞』2016年04月13日(水)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12307095.html


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