覚え書:「危機の20年 北田暁大が聞く 第1回 ゲスト・村山富市さん 自社連立の遺産」、『毎日新聞』2016年04月23日(土)付。

Resize2033

        • -

危機の20年
北田暁大が聞く 第1回 ゲスト・村山富市さん 自社連立の遺産(その1)

毎日新聞2016年4月23日 東京朝刊


北田暁大さん(左)と自社さ連立政権について対談する村山富市元首相

 東西冷戦と55年体制の終えんから20年以上。経済の「失われた20年」を経て、政治や社会も激変した。北田暁大・東京大教授(社会学)が当事者らと振り返る。初回は、元首相の村山富市さん。【構成・鈴木英生、写真・竹内紀臣】

「談話」が大きく変えた アジアの日本見る目

 北田 細川護熙羽田孜両・非自民連立政権の後、社会党自民党新党さきがけの連立で村山政権(1994年6月−96年1月)が成立したのは、まさに衝撃でした。自民党との連立に、どんな展望と方針をお持ちでしたか?

 村山 戦後50年の節目にある内閣の歴史的役割として、内外の諸問題にけじめをつけて新しい展望を開き、それができたら総辞職する。「長居は無用」と決めました。外交は、太平洋戦争の「後始末」をしっかりして、アジア諸国から信頼されるようにする。内政は、被爆者援護法や水俣病患者救済を実現させる。特にアジア諸国との信頼関係は、若い頃に岡倉天心=注<1>=などを読み、アジアから孤立した日本はありえないと強く信じてきましたから。

 北田 そこで、侵略と植民地支配を謝罪する戦後50年の国会決議に取り組まれた。

 村山 ところが、決議案は修正に次ぐ修正を経ても衆院は大量欠席でなんとか賛成多数で可決し、参院では審議もされない。これでは逆効果になると考えて、首相談話=注<2>=を出すことにした。談話は、周囲に「通らなかったら辞職する」と言っていたからね。閣議で一言の異論もなかった。あの談話後、アジア諸国の日本を見る目ががらっと変わった。

 北田 確かに、村山談話以降は、しばらくの間、歴史認識が大きな外交問題になりませんでした。

 村山 僕以降の内閣は、ずっと、村山談話を継承すると言ってきた。ある意味では、いわば日本の国是になったわけだ。

 北田 安倍晋三首相でさえ、村山談話を否定できません。また、村山政権は、日本国憲法の順守も掲げました。

 村山 自民党は、社会党の立場を承知で連立するのだから、譲れる範囲では妥協した。しかもあの頃は、河野洋平総裁を筆頭に比較的リベラルな人が多く、後藤田正晴さんや野中広務さんら憲法や平和について筋を通す人もいた。僕が社会党の委員長になったとき、後藤田さんに昼食に誘われて、「自衛隊が合憲かどうか、互いの見解は違う。だが2人とも、『この程度は』と大目に見ていると暴走して、戦争になると知っている。一緒に、守るべき一線はきちんと守らせよう」と言われましたね。

 北田 他方で、首相就任後の所信表明演説では、自衛隊日米安保を認めて、従来の社会党の基本方針を転換させました。

 村山 自衛隊は、既に大方の国民が肯定して、毎年の予算も組まれて存在してきた。党内も「専守防衛自衛隊なら認めてよいのではないか」との声が以前から半分くらいを占め、「違憲合法論」もあった。だから、この機会に言い切ろうと腹を決めました。

 安保については、日米首脳会談で「政権が代わっても国同士の約束事をすぐ反故(ほご)にしたりはしない。ただし、不都合な点があれば話し合いで解決するのは当然だ」と話した。安保のおかげで、日本は防衛費を抑えて経済発展を遂げ、諸外国も平和国家としての日本に安心している。安保のプラス面もあった。

 北田 アジア女性基金=注<3>=も村山政権の大きな仕事でした。

 村山 当時、既に慰安婦の問題は国連人権委員会でも議論されて国際的な問題になっていた。無視はできんが、日本政府の立場では「日韓基本条約で賠償は解決済み」としか言えない。そこで国民への募金で償い金を出そうとしたら、一部マスコミに「見舞金」と書かれた。韓国で「国が間違ったと認めるなら国が賠償すべきだ。国民のお見舞いとは何事か。こんな金は受け取れない」と批判が高まってしまった。もう少し、韓国側と意思疎通がうまくいけばよかったのじゃが。後年、韓国の国会で「国民が償いをさせてもらいたいと考えた善意は、信じてほしかった」と演説しました。

 北田 去年12月の慰安婦問題での日韓合意については?

 村山 せっかく合意できたのだから、なんとか解決してほしい。元慰安婦の方々は高齢で、次々に亡くなっているのだから。

 北田 岸田文雄外相が会談後の記者会見で表明した「この問題が最終的かつ不可逆的に解決される」との言葉は、「歴史は水に流します」と聞こえましたが。

 村山 安倍さんも戦後70年談話で、「(子孫に)謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」としたが、歴史を忘れてはならない。外交問題化しないのはいいが、歴史を学び、過ちを繰り返さないことこそが大切でしょう。

 ■人物略歴

むらやま・とみいち


 1924年大分市生まれ。明治大専門部(旧制)卒。大分市議、同県議を経て72年に衆院議員当選(当選8回)。予算委員会理事、社会党委員長など経て首相。2000年政界引退。
    −−「危機の20年 北田暁大が聞く 第1回 ゲスト・村山富市さん 自社連立の遺産(その1)」、『毎日新聞』2016年04月23日(土)付。

        • -

危機の20年:北田暁大が聞く 第1回 ゲスト・村山富市さん 自社連立の遺産(その1) - 毎日新聞






        • -

危機の20年
北田暁大が聞く 第1回 ゲスト・村山富市さん 自社連立の遺産(その2止)

毎日新聞2016年4月23日 東京朝刊


 北田 昨年夏は、反安保法制のデモが盛り上がりました。にもかかわらず、安倍政権の支持率はあまり下がりません。

 村山 他に政権を任せられる政党がないと思われているからでしょう。民主党政権に期待を裏切られた。民主党政権は、鳩山(由紀夫)さんが米軍普天間飛行場移設で、根拠なく「最低でも県外」と大見えを切るなど、地に足が着いていなかった。東日本大震災への対応でも、政権の統一がとれていなかった。選挙で政権が代わったのは戦後初めてだから、僕も「これで日本の政治が変わる」と大変期待した。しかし、なんのことはない、自滅したんじゃな。

 北田 今、江田三郎さん=注<4>=のような、多くの人の生活に即した経済政策を語り、経済成長を大切にする左派政治家がいたら、と思います。あの路線が社会党の主流になったら、歴史は違った。

 村山 当時は党内の左右対立が激しく、江田さんの構造改革論は(資本主義の枠内での)「改良主義だ」とレッテル貼りされて、党から排除された。今思えば、ああした考え方がもっと広まるべきだったが、時代が違ったんですね。

広告

inRead invented by Teads
 北田 今は特に、与党がアベノミクスの成果を掲げて人々に夢を語り、逆に野党が消費増税を言う始末です。今、野党は、どんな経済政策を訴えるべきでしょうか?

 村山 大企業が潤えば上から社会全体が潤うとまだ信じられているが、労働者、農民、中小企業者の生活が安定して消費が活発になることで経済は順調に発展するのだと、思い切って発想を転換すべきです。社会保障、高齢者福祉や子育て支援を充実させて、人々が安心して働けるようにする。最低賃金を増やし、派遣労働をできる限り規制して、働けば生活が保障される社会を呼びかけるべきじゃろう。個人消費こそが日本の経済を支えているのだから、下から日本全体が豊かになる政策が大切だと思いますね。

注<1>=思想家。1863−1913年。「アジアは一つ」との言葉で知られる。

注<2>=村山談話。植民地支配と侵略を認めて、謝罪した。

注<3>=元慰安婦285人に、首相のおわびの手紙と共に償い金を渡した。

注<4>=1907−77年。西欧社民主義的な「江田ビジョン」が党内で批判され、後離党。

 ■対談の背景

 55年体制の主役、自民党社会党が組んだ村山連立政権の発足は従来の常識を超えた出来事だった。自民党は1993年に下野して、社会党も入閣した細川護熙・非自民連立政権が発足。細川政権は強い支持を集めたが、新生党(当時)の小沢一郎氏と公明党市川雄一氏らが実権を握り、社会党は影響力を弱められた。続く羽田孜政権は社会党が入らず約60日で崩壊。政権復帰を狙う自民党社会党などと組み、史上2回目で最後の社会党首相を頂く政権ができた。=次回は5月28日掲載

 ■人物略歴

きただ・あきひろ
    −−「危機の20年 北田暁大が聞く 第1回 ゲスト・村山富市さん 自社連立の遺産(その2止)」、『毎日新聞』2016年04月23日(土)付。

        • -

危機の20年:北田暁大が聞く 第1回 ゲスト・村山富市さん 自社連立の遺産(その2止) - 毎日新聞



Resize2010

Resize2011

Resize1558