覚え書:「著者に会いたい 我が詩的自伝―素手で焔をつかみとれ! 吉増剛造さん [文]大上朝美」、『朝日新聞』2016年05月08日(日)付。

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著者に会いたい
我が詩的自伝―素手で焔をつかみとれ! 吉増剛造さん
[文]大上朝美  [掲載]2016年05月08日

(写真キャプション)吉増剛造さん(77)=山本和生撮影


■詩の源、自分でもびっくり

 前衛的な詩活動で日本芸術院会員、文化功労者。そんな肩書とパフォーマンスのおちゃめさに、すごいギャップがある詩人の「自伝」。
 聞き手と編集者の3人で1年近く対話を重ね、語りを書き起こしては、手を加えた。「楽しい作業でした」という。東京から和歌山に疎開した幼年期以来の過去をたどり、記憶を呼び起こす。「年も年だし、本気になり、正直に、慎重に」……ところが、記憶は言葉になる時に微妙にずれて揺らぎ、それを意識する精神の働きでまたずれる。記憶と言葉の揺らぎの奥を探る足取りが、異様に面白い。
 新しく想起されることもあった。例えば初期の詩「空からぶらさがる母親」。自分でマザコンの詩だと思っていたが、疎開先の和歌山で、米軍機が大量の銀紙を空一面にまいた光景が心に焼き付いて詩の源になっていたとわかり、「自分でもびっくり」。
 「僕は戦争の非常時の子で『非常時性』が生命の一番奥深くにあり、詩を書く時にはそこに、瞬間的に接触するんでしょうね。この本を機会に詩の中の無意識と出会い、言語化できました」
 「非常時性」は3・11東日本大震災に触れ、長編詩「怪物君」がいまも進行中。また日々の記録や記号などが詩に何重にも入り込み、テキストの見た目がどんどん奇怪な植物のようになっている。
 この6月から東京国立近代美術館で開かれる「吉増剛造展」で、最近までの詩活動が立体的に展示される予定。タイトルに「全身詩人」とうたっているのもなるほど、だ。
 「舞台に立って、役者のように語った感じ」というこの自伝もまた、吉増さんの詩の一端にほかならない。
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 講談社現代新書・972円
    −−「著者に会いたい 我が詩的自伝―素手で焔をつかみとれ! 吉増剛造さん [文]大上朝美」、『朝日新聞』2016年05月08日(日)付。

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http://book.asahi.com/reviews/column/2016050800014.html


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