覚え書:「憲法を考える:立憲vs.非立憲 多数で決めて何が悪い? 論説委員・坪井ゆづる」、『毎日新聞』2016年05月02日(月)付。

Resize2288

        • -

憲法を考える:立憲vs.非立憲 多数で決めて何が悪い? 論説委員・坪井ゆづる
2016年5月2日

 「立憲主義って何だ?」

 「これだ!」

 4月29日夜。安全保障関連法の廃止を求める高校生ら約500人のコールが、国会前に響いた。

 これまでの護憲派とは異なるリズム、新しい言葉。

 いま問われているのは護憲か改憲かではない。そんな議論のはるか手前に前提としてあるはずの立憲主義、政府は憲法に従って政治を行わなければならないという「当たり前」が当たり前でなくなっている――立憲に非(あら)ず。こんな現状を許していいのか? そう訴えたくて集まった。

 安倍晋三首相は国会で、憲法解釈の「最高責任者は私」と言い切った。「立憲主義にのっとって政治を行うことは当然だ」と繰り返しているが、本当にそうしているだろうか。

 2014年7月、首相は集団的自衛権の行使容認を閣議決定した。それまでの内閣が重ねてきた憲法解釈を、ひっくり返した。

 その前年、内閣法制局長官集団的自衛権の行使容認に前向きな外交官を起用したところから、この流れは想定された。権力者が「法の番人」を自分色に変える。日銀総裁。NHK人事。みずからの力をこれほどためらいなく行使する首相はかつてない。

 権力を分散させて相互間の「均衡と抑制」を図る憲法の考え方からは遠い。

 昨年6月の衆院憲法審査会。参考人憲法学者3人がそろって安保関連法案を「違憲だ」と指摘した。だが耳を傾けることなく採決を強行した。説得して納得を広げるより、結論ありきで走る政治手法が目立つ。

 数の力がすべてだ。○か×か、多数で決めて何が悪いのか――。ぎすぎすとした政治が広がっている。

 だが、これは安倍政権で突然、始まったわけではない。1990年代から少しずつ、私たち主権者の同意を得て準備されてきた。

     ◇

 これまで憲法は「護憲VS.改憲」で論議されることが多かった。でも、それでは見えないことも出てきている。今回は「立憲VS.非立憲」という新しい「レンズ」で、日本の現在に目をこらしてみる。▼2面=岐路
    −−「憲法を考える:立憲vs.非立憲 多数で決めて何が悪い? 論説委員・坪井ゆづる」、『毎日新聞』2016年05月02日(月)付。

        • -


Listening:<厳罰規定の問題点>特定秘密保護法、憲法と相いれず - 毎日新聞





Resize2271

Resize1762