覚え書:「『痴人の愛』を歩く [著]樫原辰郎 [評者]宮沢章夫(劇作家・演出家)」、『朝日新聞』2016年06月12日(日)付。

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痴人の愛』を歩く [著]樫原辰郎
[評者]宮沢章夫(劇作家・演出家)  [掲載]2016年06月12日   [ジャンル]文芸 
 
■発見、想像、思索、小説に導かれ

 小説の記述をもとに、著者は、『痴人の愛』を歩く。文字通り地図に沿ってまず浅草から出発するが、なにより共感するのは歩き方だ。歩きつつ、ふと目に入ったものから、べつの想像をし、その思索から再び小説に戻る。そうした手つきが興味深い。
 ときとしてそれは映画の話になる。『痴人の愛』が書かれた時代のアメリカの美人女優が丹念に語られる。あるいは、ファッションの話になる。さらに自立した日本の女たちと、自立を象徴する「ボブカット」の髪形が語られる。
 地図は広い。『痴人の愛』という地図は広く、どこまでも、立ち止まって考え、またべつのことを発見して歩く。そして、著者が問うのは、なぜこの小説がここまで成功し、いまでも読み継がれているかだ。
 ひとつには、ヒロインのナオミの姿に「新しい女性像のモデル」を見るという解答がある。あるいは『痴人の愛』を、どこか奇妙だが、「喜劇」として語る視点がある。著者の歩き方が特別だからか。
 悲劇と喜劇を隔てる壁のようなものはごく薄い。ときとして、これは悲劇か、それとも喜劇かわからない人間のドラマに出会うことがある。当人たちにとっては悲劇だ。けれど、客観的に見れば滑稽に見えることがある。ナオミに惚(ほ)れた河合譲治の喜劇性はよくわかる。しかし、ナオミは悪魔的な女に見えても、その姿を喜劇として語るのは、やはり奇妙に感じる。けれど、著者の歩き方に導かれることによって、たしかにそうだと得心がゆく。
 だから著者が語るように、『痴人の愛』は近代小説になった。
 それでもナオミは魅力的だ。悪魔的にふるまい、奔放に欲望のまま生きる。つまり、いまの読者の目、「近代の視点」から見れば、「近代」が生み出し支配した「知」によって硬直した身体に徹底して抵抗したからにちがいない。それはきわめてやわらかな皮膚だ。
    ◇
 かしはら・たつろう 64年生まれ。脚本家や映画監督などとして活動。著書に『海洋堂創世記』。
    −−「『痴人の愛』を歩く [著]樫原辰郎 [評者]宮沢章夫(劇作家・演出家)」、『朝日新聞』2016年06月12日(日)付。

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