覚え書:「憲法を考える:自民改憲草案・自由:下 自分の自由、吟味する覚悟も」、『朝日新聞』2016年05月21日(土)付。

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憲法を考える:自民改憲草案・自由:下 自分の自由、吟味する覚悟も
2016年5月21日

 「リベルテ(自由)! リベルテ!」

 2015年1月、パリ中心部の共和国広場に、無数の声が響き渡った。

 イスラム教の預言者ムハンマドへの風刺画などで知られる週刊新聞社が、イスラム過激派によって襲撃され、12人が死亡したテロ事件。市民たちは抗議の意思を「リベルテ」の言葉に託し、練り歩いた。その数はパリだけで120万人以上。1944年、第2次世界大戦中の「パリ解放」以来の大行進だった。

 怒りと高揚が渦巻く中、うつむき立っている女性の姿が、取材中の私の目に留まった。

 友人に誘われてきたというパリ郊外在住のドルカス・マキーヤさん(25)。なぜ参加したのか尋ねると、テロへの抗議、言論の自由の大切さをよどみなく語り、少し間をあけて、付け加えた。「私はイスラム教徒。この状況で、参加を断れないでしょ」

 自由という理念は輝かしいし、なんだか人をワクワクさせる。ただ同時に、ある人の自由が、他人の自由を侵したりする場合もあることを私たちは経験的に知っている。自分が大事に思う価値や権利を主張することが、他人のそれを抑圧したり、侵害したりしていないか?

 私の自由と、他人の自由。それがぶつかったときの調整弁として、現行憲法が設けているのが「公共の福祉」だ。13条は、自由については国政上、最大の尊重を必要とするが、「公共の福祉に反しない限り」との条件をつけている。

 だが、調整はなかなか面倒だ。2004年、自民党憲法調査会憲法改正プロジェクトチームの議論では「こういう風にものを考えれば幸せになれる、ということを国に規定してほしいと多くの国民は願望しているのでは」と発言した議員もいた。

 経済的自由が行き過ぎた結果としての格差拡大が問題視されたり、表現の自由の名の下でのイスラム教への風刺が強い批判にさらされたり。昨今、とかく自由は分が悪い。自民党改憲草案にあるように、自由より「公の秩序」を優先した方がいい。その主張に同意しないまでも、ひかれる人は多いと思う。「こうしなさい」と誰かに決めてもらった方が、正直楽だ。「公の秩序」を優先して、ややこしい問題が解決するなら結構なことではないか。

 しかし、法哲学者の井上達夫・東大教授は「『公の秩序』に委ねたところで問題は解決しない」と指摘する。

 「自由への不信の根幹にあるのは、自由の主張が他者への不正な支配に転化することへの怒りや反発です。自由を主張する者が、同じく自由を求める他者の視点からでも、それを正当化できるか、批判的に吟味し続けるしか、自由を守ることはできません」

 なんとも面倒くさい。でも、時にぶつかりながら、自分と他人の自由に折り合いをつける面倒くささを個々人が引き受ける以外に、自由な世界を成り立たせるすべは、おそらく、ない。

 自由には責任が伴う。自民党改憲草案12条の言葉が、そのような意味で用いられるのであれば、正しい。(高久潤)

      ◇

 「自由」編はこれで終わります。次週は「義務」編を掲載する予定です。
    −−「憲法を考える:自民改憲草案・自由:下 自分の自由、吟味する覚悟も」、『朝日新聞』2016年05月21日(土)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12368236.html





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