覚え書:「憲法を考える:砂川判決の呪縛 吉永満夫さん、春名幹男さん、南野森さん」、『朝日新聞』2016年05月24日(火)付。

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憲法を考える:砂川判決の呪縛 吉永満夫さん、春名幹男さん、南野森さん
2016年5月24日

砂川事件最高裁判決をめぐる経緯<グラフィック・岩見梨絵>

 米軍駐留の合憲性の判断を避けた57年前の最高裁判決。近年見つかった米公文書で裁判の公平さに疑問符がつく一方、安保法制のお墨付きにも持ち出され、今も私たちに絡みつく。

 ■公平性、最高裁自ら検証を 吉永満夫さん(砂川事件再審請求弁護団代表)

 59年前、東京の米軍立川基地拡張計画に反対するデモ中、基地内に数メートル立ち入ったとして7人が逮捕、起訴されました。基地の地名から砂川事件と呼ばれています。

 米軍の駐留自体が憲法違反として一審は無罪。それを破棄した最高裁判決が今もさまざまな影を落としています。

 転機は8年前。最高裁での審理中、田中耕太郎最高裁長官が駐日米国大使・公使らと「内々に」面談し、裁判の見通しや評議の内容を示唆していたことを示す米国の公文書が見つかりました。そこで元被告人らは「憲法が保障する公平な裁判を受けられなかった」と裁判のやり直し(再審)を求めたのですが、東京地裁は今年3月棄却し、現在東京高裁が審理しています。

 被害者にあたる米国側と担当裁判長が内々に面談しただけでも不公平な裁判のおそれを感じます。地裁は、長官が裁判所を代表して「国際礼譲」の対象の米側関係者と内々に面談したからといって直ちに不公平な裁判をするおそれがあるとはいえないとしていますが、「国際礼譲」と「内々」は矛盾します。

 さらに米公文書が、長官が「駐留米軍違憲」とした一審の無罪判決について「覆されるだろう」と米側に示唆したとする点も、「米大使が受けた印象が記載されているにすぎない」としています。しかし面談し、そんな印象を与えただけでも問題でしょう。

 再審請求を棄却する結論が先にあって、理由は後でひねり出した感じがします。

 裁判官が評議の秘密を漏らすことは裁判所法や裁判官倫理に反し、罷免(ひめん)に値する行為です。田中長官の意識は、裁判官というより政治家だったのではないか。戦前は東大で商法を教え、戦後、第1次吉田内閣の文相を務め、参院議員に転じました。ある書物で、左翼的暴力の脅威から民主主義を守るために戦う必要があるという趣旨の主張をしています。米大使に評議内容を伝えるくらい、何の問題もないと考えたのでしょう。

 これだけ裁判の公平性を疑わせる明白な証拠があるのに、裁判所が再審開始決定しないのはなぜか。裁判官の保身でしょう。大飯原発の運転差し止め判決をした福井地裁の裁判長が昨年、名古屋家裁判事に異動させられたのを見ても、時の政権の意向に反する判断をすればどこに飛ばされるかわからないと考えても不思議ではありません。

 仮に再審開始となれば、砂川事件最高裁判決の正当性が否定され、「駐留米軍違憲」とした一審判決が再浮上します。最高裁判決を根拠に集団的自衛権行使容認に踏み切った安倍政権にも影響を与える事件です。田中長官の問題は再審の手続きだけに任せず、最高裁が自ら検証に乗り出して、負の遺産清算すべきです。(聞き手・山口栄二)

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 よしながみつお 42年生まれ。71年弁護士登録。横浜事件第3次再審請求事件弁護人。著書に「崩壊している司法」など。

 ■米の介入、冷戦後に変化 春名幹男さん(早稲田大学客員教授

 砂川事件が起きたのは、日米安保条約改定の予備的協議が始まろうとする時期でした。米国は日本のことをヨチヨチ歩きで防衛力も弱い、監督の対象と考えていました。

 安保条約改定反対の世論が盛り上がるなか、砂川事件の一審判決で「米軍駐留は違憲」と指摘され、駐日米大使はかなり慌てたのでしょう。日本側の外相に「スピーディーな行動で地裁判決を正す重要性」を強調し、高裁を飛び越え最高裁に直接上告せよ、と圧力をかけたことを、ジャーナリストの新原昭治氏が発見した米公文書が示しています。その通り、検察は跳躍上告の手続きをとりました。

 さらに、米大使は最高裁長官と会談し、上告審の見通しを問いただす行動に出ました。日本は三権分立の制度を採る独立国です。司法権への介入は傲慢(ごうまん)で、非難されるべき行為でした。

 米国による司法権への介入という意味では、やはり1957年に起きた「ジラード事件」も特筆すべきです。群馬県の米軍演習地内で薬莢(やっきょう)拾いをしていた主婦を、米兵ジラードが背後から発砲して即死させた事件です。

 米側は日本側と、殺人罪でなく傷害致死罪で起訴することを条件に米兵の身柄と裁判権を引き渡す密約を交わしました。裁判の判決は傷害致死罪で懲役3年執行猶予4年の有罪。逃げる主婦を後ろから狙い撃ちした行為を傷害致死で済ませることで、米国側の無理な要求を政府だけでなく、裁判所も受け入れたのです。砂川事件でも、この前例をふまえ安易な司法介入が行われたのかもしれません。

 同年、訪米した岸信介首相との会談で、アイゼンハワー米大統領は「求められないところにはいたくない。米軍撤退の開始を検討する用意がある」と伝えました。「我々が日本を守ってやっているのだから多少の問題があっても我慢しろ」というわけです。安保条約改定交渉では米軍による日本防衛義務規定を加える検討をしており、「米軍駐留は憲法違反」と断じた砂川事件の一審判決は邪魔でしかない。「早く取り消せ」というのが本音だったでしょう。

 冷戦終結で、米国内の世論の空気も変わりました。日米防衛協力のための指針(ガイドライン)は改定のたび、日本防衛についての米軍の関与の度合いが弱まっています。2000年までにナチス戦争犯罪情報公開法と日本帝国政府情報公開法が米議会で成立しました。「反共のとりで」として同盟関係を築くため、日独両国の過去の戦争犯罪をあいまいにした米側の姿勢にも、変化が出てきています。

 日本は、冷戦期の「米国は必ず日本を守ってくれる」という幻想からそろそろ脱却して、現実的な安全保障戦略を考えるべき時期でしょうね。

 (聞き手・山口栄二)

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 はるなみきお 46年生まれ。共同通信ワシントン支局長を経験、専門は日米関係。著書に「仮面の日米同盟」など。

 ■弱い「番人」、支えは国民 南野森さん(九州大学教授)

 砂川事件をめぐり、最高裁長官が紛争の事実上の当事者である駐日米大使と面会していたのは異常な出来事です。ただ、それをもって、憲法に保障された「公平な裁判」ではなかった、と立証できるかといえば難しいと思います。

 理由は二つあります。

 まず、当時の田中耕太郎長官が大使に伝えた内容は裁判の見通しにとどまり、結論を漏らしたとまでは言えないからです。また、長官といえども最高裁に属する15人の裁判官の1人にすぎず、絶対的な権限があるわけではありません。一審の無罪判決を破棄した最高裁判決の結論も15人全員が一致したものでした。このため、再審請求を退けた東京地裁決定は法律論としては理解できます。

 砂川事件で問われた日米安保条約について、最高裁は「高度に政治的」な問題だとして判断を避けました。統治行為論と呼ばれます。自衛隊の存在が憲法に照らして許されるかについても、最高裁は一度も判断したことがない。憲法81条で法律や行政行為が憲法に反していないかを判断する違憲審査権が認められているにもかかわらず、です。

 少数意見をすくい上げたり、政治のブレーキ役を果たしたりする権限があるのに政治と正面から向き合おうとしないのは、最高裁がそれほど強い立場にはないからです。

 最高裁違憲判決には物理的な強制力があるわけではなく、国会が無視することもある。親などを殺す尊属殺人の規定を違憲とした判決は20年以上放置され、一票の格差について「違憲状態」という判決が続いても、国会は根本的な是正に動いていません。こうして司法の信頼や権威が損なわれることを恐れて、最高裁は現実政治の思惑を忖度(そんたく)しようとするのです。

 また、踏み込んだ判断をすれば、政治からしっぺ返しを食う可能性もないとは言えません。アメリカで違憲判決が続いた30年代には、大統領が意に沿う判決を導き出そうと連邦最高裁判事の増員を画策しようとしました。日本国憲法でも、最高裁判事の任命権は内閣にあります。

 しかもいま、目的のためなら、長年積み上げてきた法の論理でも踏みにじろうとする傾向が顕著です。安倍政権は砂川事件判決を奇妙に解釈して、集団的自衛権行使に道を開きました。当時の首相補佐官も「法的安定性は関係ない」と口にしたほどです。

 法の秩序を保ち、法の支配を安定させるには、為政者に憲法を守らせ、国会や内閣に司法の判断を尊重させなければなりません。でも最高裁には後ろ盾もなく、思い切った決断をしづらい。支えになるとすれば国民の理解と信頼です。それがなければ、最高裁が「憲法の番人」として振る舞うことはできないのです。

 (聞き手・諸永裕司)

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 みなみのしげる 専門は憲法学。編著に「憲法学の世界」、AKB48の内山奈月さんとの共著「憲法主義」など。
    --「憲法を考える:砂川判決の呪縛 吉永満夫さん、春名幹男さん、南野森さん」、『朝日新聞』2016年05月24日(火)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12372761.html


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