日記:信頼し尊敬していた大人たちが……その意図と本音については千差万別なので横に置きますが……気が付くとコロっとネトウヨになってしまったり、人間をこれっぽっちも大事にしない安倍政権を翼賛したりしている

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少々印象批判ですが、信頼し尊敬していた大人たちが……その意図と本音については千差万別なので横に置きますが……気が付くとコロっとネトウヨになってしまったり、人間をこれっぽっちも大事にしない安倍政権を翼賛したりしている。 

人間が、その現在の言説を選択するには、先に言及した通り、様々なウヨ曲折や利害関係など様々な要因があります。加えて、単純に、知っている・知らないの二元論で分析は出来ないことは承知しております。

しかし、、それでも、例えば、……これも現実は玉石混交なので「間違いない」という話ではないのですが、それでも最大公約数と理解してもらえばいいのですが……、脱原発の如き「いかがなものか」にイエスだった方々が、ネトウヨや翼賛文化人に「ジョブチェンジ」してしまうことには驚きを隠せません。

現在、その無様な様相を呈している姿をみるにつけ、色々な理由はあるのだとは思いますが、そうあってはならないなと痛感しております。

昨年は筋を通すことにリソースを注ぎましたが、今年は、それを展開していく「創造性」とでも言えばいいのでしょうか。そちらにエネルギーを注いていきたいと考えております。

私自身、蝙蝠界隈からは、知性と倫理を要求しすぎている、お前は庶民を馬鹿にする二乗だと批判されますが、その言葉に色々なことを考えております。※氏家二乗批判に関しては、すでに色々言及しているのでここでは詳細を割愛します。

一つは、一定のち的訓練を受けた人間であれば、……例えば、『聖教新聞』は「中学卒業レベル」の人間が読んでも理解できる言説を言語運用の最低限のコードにしておりますが(私がイた時のコードですけど)、その最低限のコードを参照すれば、例えば、「立憲主義」は最低限のコードになります。

しかし、現実には、それ以上の、俗にいう高等教育を受けた人間においても、「立憲主義何それおいしいの?(手でゲロ)」っていうのが実際でもある訳です。阿呆か、といえばそれまでなんですが、阿呆かでおしまいにするのではなく、そういう現実とどのように切り結んでいくの智慧を捻出する努力が必要なのではないか。今後の、私自身の課題ではあると思います。

その創造的批判を開拓していかない限り、諦めて撤退するか、もしくは、菊池寛的な、権力の手のひらに収まる言説を「限界言語」と認知しながら、煽って「俺も被害者だった」みたいな無様な様を繰り返してしまう。

ですので、闘いどころですね。

余談ながら、私が「お花畑」批判することに頭に血がのぼる界隈が多いことはこの1年で理解しましたが……それは、しかし、知っている・知らないという知的レベルの問題というより、例えば、宗教には二重の論理拘束があって、一つは排他的な信の認知レベルと、一つは普遍的な救済の認知レベルにダブルバインドされている訳ですが、その緊張的な相関関係を無視して、内輪盛り上がりに急旋回して大丈夫かという話なんですが……、それよりも問題なのは、菊池寛的な体制内的エセリベラがより問題なのだとは、昨年来より理解しております。

バンザイアタックして死ぬよりも、そう煽る連中がね……という話。



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