覚え書:「考論 長谷部×杉田:参院選を前に、見つめ直す」、『朝日新聞』2016年06月18日(土)付。

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考論 長谷部×杉田:参院選を前に、見つめ直す
2016年6月18日

改憲3分の2ラインとは/有権者が「重視する政策」は
 消費増税の再延期をめぐり、参院選で「新しい判断の信を問う」とした安倍晋三首相。長谷部恭男・早稲田大教授(憲法)と杉田敦・法政大教授(政治理論)の連続対談は今回、22日の公示を前に、この選挙で問われる日本政治のありようを見つめ直す。

 ■過去を消す政権、人々は慣れたのか 長谷部/与党、白紙委任しろと言うのに近い 杉田

 長谷部恭男・早稲田大教授 安倍晋三首相は6月1日に記者会見し、消費増税の再延期について「参院選で国民の信を問いたい」と述べました。でも第1次政権の時、参院選に政権の信任はかかっていないから、負けても首相は辞めなくていいと言われていたはずです。私はその理屈はあり得ると思いましたが、なぜ今回、参院選で信を問う気になったのか。これも「新しい判断」でしょうか。

 杉田敦・法政大教授 「アベノミクス」の果実が目に見えないのは、まだ「アベノミクス」が足りないからだ――。これが首相の論法です。しかし、これは、ギャンブルに勝てるまで賭け金を積み続ければいいという論理に似ている。期限を区切って、「こういう数字を出す」と具体的に約束するのでなければ、国民としては評価のしようがありません。

 長谷部 ただ安倍さんは、前回総選挙の時も、消費増税を再び延期することはない、増税できる経済状況に持って行く、断言すると言っていました。それを「新しい判断」と言ってチャラにしたのに、人々はさほど怒っていない。ペンキを塗り重ねて過去をなかったことにしてしまう、政権の行動様式に慣れてしまったのでしょうか。

 杉田 集団的自衛権の行使容認は事実上の解釈改憲でしたが、政府は「新しい解釈」で押し通しました。今回の「新しい判断」と構造が似ていますね。

 長谷部 日本をとりまく国際環境が変化したから、集団的自衛権の行使を認めるのだと言いつつ、どこがどう変わったか明確な説明はなかった。消費増税の再延期をめぐる「リーマン・ショック級」という理屈はさすがに通用しないのでひっこめましたが、理由がないという点で同じです。

 杉田 安倍さんは昨年、集団的自衛権の行使は限定的だと国会で何度も断言していましたが、「新しい判断」が通用するなら、これだって覆せる。

 長谷部 民主党政権に対して、マニフェスト違反だ、嘘(うそ)をついたと怒っていた人たちはどこに行ったのでしょうか。

 杉田 もともと、人々はなぜか保守の嘘には寛容で、リベラルの嘘は許さないという政治的非対称性がありますが、それにしても行き過ぎの感があります。

 長谷部 今回の参院選は、争点がよくわからない。世論調査では、社会保障や景気・雇用を参院選で重視するという有権者が多いようですが、与党は民進党の政策を次々と採りいれているので、与野党の違いがはっきりしない。それで争点になるんですか。

 杉田 ならないでしょうね。与党は、要は自分たちに白紙委任しろと言っているのに近い。それに対抗する野党が争点化すべきは、首相が消費増税について2年前の約束をほごにした政治責任。もうひとつは、「アベノミクス」が失敗したのではないかという点です。この2点については有権者の関心も高く、はっきりと検証できますから。

 ■「改憲」埋没している 杉田/立憲主義あってこそ 長谷部

 長谷部 自民党はいま、憲法改正について発言を抑えています。しかし改憲に必要な「3分の2」の議席に届いたら、「改憲する」と言い始めるのは目に見えています。有権者はそのことも頭に置いた方がいい。

 杉田 その通りです。ただ、「改憲こそ隠れた争点だ」というのは違うのではないか。朝日新聞の6月の世論調査では、投票の際に憲法問題を重視するとした人は10%と低い。隠れているのでなく埋没している。国民は、改憲を争点と認めていません。

 長谷部 選挙では争点になるはずのない争点。でも選挙が終わると、「あれが争点だった」と言われる。

 杉田 もし安倍政権が選挙後の改憲を考えているのなら、選挙公約の先頭に掲げなければおかしい。国会の憲法審査会も開かず、どこをどう変えるかも示さずに、選挙で改憲が認められたなどと主張できるはずがありません。

 長谷部 そもそも、自民党改憲論の基本的な精神は、「ここをこう変える」ではなく、「憲法なんかなくてもいい」というものなので、国政選挙で信を問うのに適さないと思います。

 江戸時代の思想家、本居宣長(もとおりのりなが)が、王朝が次々に代わる中国では義とか徳とか理屈を持ち出して統治のための規範をこしらえなければならなかったが、日本は違うと。天皇の御代(みよ)が続く日本ではそんなものはなくてもみんな平和で仲良くしていると言っていますが、そういう「日本は違う」式の考え方がかなり、自民党憲法改正草案の基本精神に受け継がれています。

 杉田 それに対して、まさに憲法学はこの70年間、立憲主義の浸透に取り組んできたのではないですか。

 長谷部 戦後日本の憲法学は、立憲主義より人民主権、つまり民主主義を強調してきました。その方がわかりやすいからですが、私は控えた方がいいと言ってきた。自民党憲法改正推進本部副本部長の礒崎陽輔さんは、立憲主義について「学生時代の憲法講義では聴いたことがありません」と言いつつ、一方で最後に決めるのは国民ですと言っている。戦後憲法学の主張がハイジャックされているのです。

 杉田 安倍さんも、大阪市長だった橋下徹さんも、一種の「人民主権論者」ですからね。国民が多数決で決めたことは絶対だと。

 長谷部 立憲主義は、ものの考え方や生き方は人それぞれで、多数決であっても「こうしろ」と踏み込んではいけないというものです。自分の生き方や考え方が守られるからこそ、人はその社会に貢献しようと思うわけで、その意味でも、立憲主義は大事です。

 ■政治にブレーキかけるか否か 長谷部/問われぬことは委任されない 杉田

 杉田 安保法制の議論を通じて明らかになったのは安倍政権による憲法軽視と、それと表裏一体の、行政権力の全面化です。彼らは、憲法のしばりなどなくて、政府の政策や判断だけで国を運営する方がうまく行くと思っているようですね。

 長谷部 いざとなれば緊急事態条項で政府が全部決めてしまえばいいんだ、憲法なんかいらないんだと。そうなると今回の参院選は、現在のような政治のありようにブレーキをかけるか否かが問われるのでは。

 杉田 民進党も「まず、3分の2をとらせないこと」と言っていますね。ただ、いま生活が苦しくて、出口を求めている人に、「ブレーキが必要だ」という議論が届きにくい面もある。「とにかくエンジンをふかす」という話の方が耳に入りやすいかもしれません。

 長谷部 それでは国の借金が積み上がり、次世代にツケを回すことになる。

 杉田 後世に負担を残すという面では原発なども同様ですが、地方の経済が疲弊する中で、景気が良くなればいいといった短期的な成果に目が向きがちです。残念なことですが。

 長谷部 それでは、有権者ではあっても主権者とは言えない。主権者は、国全体の利益や国の将来について考えねばなりません。

 杉田 「3分の2」について言うと、改憲の内容をつめる前から、政党ごとに改憲勢力護憲勢力が決まっているというのも妙な話です。日本は党議拘束が強く、党首脳部の指令通りに、議員が一糸乱れぬ投票行動をとりますが、改憲のような問題についてもそれでいいのかどうか。

 長谷部 問題によっては、党議拘束をはずすべきものもあると思います。政治家としての信条にかかわるものとか。

 杉田 それに、改憲の中身によっては与党勢力の間でも割れる可能性がある。

 長谷部 そうですね。公明党は、自民党右派のような、憲法はいらないという立場ではありません。

 杉田 現政権による非立憲的な政治に反対する側も、「3分の2」をとらせないためには、選挙がすべてだという発想になりがちです。しかし、安保法制をめぐる議論の中で定着したのは「選挙で勝てば何でもできる」わけではない、という認識でした。選挙には限界がある。問われなかったことは委任されない。選挙前に確認すべきは、このことではないでしょうか。

 =敬称略

 (構成・高橋純子)
    −−「考論 長谷部×杉田:参院選を前に、見つめ直す」、『朝日新聞』2016年06月18日(土)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12414566.html






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