日記:「無意識下の人間性の否定」

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 私は寝たきりの患者を起こす決意をし、1981年から実践してきました。看護師の腰痛対策で関わりはじめたケアの世界でしたが、さまざまな現場を見聞きするにつれ、寝たきりにされ、自由を失っている人の多さを知りました。それをなんとかしたいと考えるようになったからです。
 翌年、私とロゼットはシンポジウムで論文を発表しました。そのコンセプトは「死ぬ日まで立つことができる。立って生きて、立って死ぬ」です。文字通り「立って死ぬ」と誤解しないでください。死に至る最期の日まで人は立位を維持できる可能性を持っているという意味です。
 そのころから今日に至るまで看護師に提唱し続けているのは、「立位で保清をしましょう」ということです。なぜなら私の仕事は患者の健康を維持することにあるからです。立ち続ける重要性への気づきからユマニチュードは生まれたと言ってもいいかもしれません。
 立位で保清を行うためには、まず患者を縛らない。看護師が立位の介助を行う。院長が座位を可能にするための椅子を買う。そういったシステムや条件、みんなの意思が揃ったときにはじめて高齢者の立位が維持できます。
 立つことは尊厳に関わります。尊厳とは誰のものでしょう。患者でしょうか。ケアする側のものでしょうか。私が高齢者を泣かせていたころ、私も泣いていました。私の尊厳が損なわれていました。褥瘡のケアをする前に痛み止めの処置をすることが可能になっったとき、私は自分の尊厳を取り戻しました。
 自分が自己の尊厳をどう感じるかは、相手から自分に向けられている眼差しによって定まります。生きている状態で体が切り刻まれる。いつもうめき声ばかりあげている。立ち上がることもできない。そういった尊厳に値しない状態に高齢者を置いていたら、誰がその人に話しかけたりするでしょうか。そこで尊厳を失うのは私たちの社会です。
 尊厳とは人間であることを説明する言葉です。人間がこの世に生まれたとき、その人に何をするでしょう。私たちは話しかけます。体を洗い、服を着せます。見つめます。名前で呼びます。
 ナチス・ドイツがつくった強制収容所では、話すこと、歌うこと、見ることが禁じられました。自分の名前を忘れさせ、名前の代わりに番号を付け、腕にその番号を入れ墨し、非人間化の条件を整えました。
 あなたが人間であることを忘れさせようとしたのです。人間ではない動物であれば殺してもいいというわけです。人間としての条件をなくしたから、ユダヤ人や障害者、同性愛者やマイノリティーを大量に殺し、焼却することができました。
 高齢者が40人も相部屋に詰められ、ベッドに寝かせられ、糞尿まみれの姿で放置されているとき。話かけることも、アイコンタクトもしないとき。立とうとする人間を横たわらせようとするとき。触れるどころか肉を刻むとき。それはケアをする人々が無意識に行っている人間性の否定です。
 老人を対象にした、「無意識下の人間性の否定」が世界中に起きていて、私もそこで仕事をしていたのです。
    −−イヴ・ジネスト、ロゼット・マレスコッティ(本田美和子)『「ユマニチュード」という革命 なぜ、このケアで認知症高齢者と心が通うのか』誠文堂新光社、2016年、37−39頁。

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