覚え書:「憲法を考える:忘れられた島 岸政彦さん、前泊博盛さん」、『朝日新聞』2016年06月23日(木)付。

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憲法を考える:忘れられた島 岸政彦さん、前泊博盛さん
2016年6月23日

イラスト・米沢章憲

 米国統治から復帰した沖縄の人々が、本土より四半世紀遅れて触れた日本国憲法には、戦争放棄、個人の尊厳、平等が掲げられている。その理念と、米軍基地が集中する沖縄の現実との矛盾をうみだしているのは何か。戦時の沖縄の苦難を思う日に、改めて考える。

 

 ■痛み感じぬ本土と厚い壁 岸政彦さん(龍谷大学教授)

 沖縄で女性が遺体で見つかり元米海兵隊員で軍属の男が逮捕された事件の後、安倍晋三首相と会談した翁長雄志(おながたけし)沖縄県知事は、「日本の独立は神話だ」と記者団に語りました。これは、1972年に本土復帰する前の米軍政下で、「沖縄の自治は神話」と述べたキャラウェイ高等弁務官の言葉に重ね合わせた発言です。

 翁長知事は沖縄の戦後史をなぞった発言を意図して繰り返している、と感じます。本土の人々が沖縄の歴史を共有していないという思いがあるのでしょう。

 「米軍基地は地政学的な面から沖縄に必要」といった指摘があります。しかし、沖縄戦で米軍が占領してそのまま基地にしたのが実態で、日本全体を対象に平等に検討した末、沖縄に決まったわけではありません。最近では、沖縄が基地提供を自ら選び、政府の補助金を利用しているといった「自己責任論」が保守派から出ています。これらはみな、沖縄が戦後に歩んだ苦難の歴史的経験を、本土の人々が共有していないことの表れなのです。

 一方で、沖縄の人々の米軍基地を本土に引き取ってほしいという要求に対し、普天間飛行場辺野古への移転に反対するような「良心的」な本土の人々は「基地そのものをなくすべきだ」と主張します。が、本土への移転については検討しようとしません。結果的に基地は沖縄に固定され続けます。

 いずれにせよ、本土の人々は痛みを感じずにいられる構造になっているのです。

     *

 沖縄から本土への労働力移動について研究してきました。戦後の本土就職は、沖縄にとって民族大移動のような大きな事件でした。57年に100人余りだった本土就職者が60年には1千人を超え、70年には1万人を突破しました。復帰前後には、高卒の4人に1人が本土に就職したのです。

 本土就職には、急増する若年人口対策として琉球政府が送り出しシステムをつくり、日本と一体化しようとした「もうひとつの復帰運動」の側面がありました。ただ復帰以前に本土へ就職した人の多くはUターンしています。

 こうした人たちに聞き取り調査したところ、「親に呼び戻された」「沖縄の良さに目覚めた」など戻った理由はさまざまでした。就職した大阪や東京は「第二のふるさと」「楽しかった」という肯定的な声が目立ちました。

 本土で明らかな差別を受けて帰ってきた方も中にはいますが、大半の方はそうした事情がなくてもUターンしていた。本土への同化を求められた末に、沖縄の人間としてのアイデンティティーを構築するという経緯があったのだと思います。その事実にふれ、かえって沖縄と本土との距離、壁の厚さを感じました。

 その構造は、沖縄ブームを経て、多くの観光客が沖縄に行くようになった今でも、変わっていないのではないでしょうか。

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 本土には沖縄を愛する人が数多くいます。遊びに行くだけでなく、移り住む人もよく見聞きします。沖縄を好きだといいながら、基地を押し付けていることに罪悪感を持たない本土の人々のありようは、「植民地主義」の典型といえます。いわば沖縄を愛するという形で、差別している。本土の人々の間に、そんな姿勢があるように思うのです。

 米軍の絡む事件が起きると、日米地位協定によって捜査がいくらでも骨抜きにされる現実がさらされ、憲法が本来、日本国民に平等に保障しているはずの権利の不平等を感じます。憲法のレベルから日常生活のレベルに至るまで、沖縄と本土とのあいだには、分厚い壁が存在するのです。

 戦前からの日本からの「沖縄独立論」が途切れず、最近はより強まっている背景に本土の人々も向き合わないといけないと考えています。

 (聞き手・川本裕司)

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 きしまさひこ 67年生まれ。専攻は社会学。著書に「同化と他者化」、今年の「紀伊国屋じんぶん大賞」に選ばれた「断片的なものの社会学」がある。

 

 ■動かぬ地位協定、抗うには 前泊博盛さん(沖縄国際大学教授)

 沖縄で米軍による事件や事故が起きるたびに繰り返される「綱紀粛正」「再発防止」という言葉に実効性はありません。残念ながら日本政府がいう、日米地位協定の「運用改善」でも根本的な解決にはなりません。19日の県民大会で地元女子大生はこう訴えました。

 「安倍晋三さん、日本本土にお住まいの皆さん、今回の事件の第二の加害者は誰ですか? あなたたちです」

 沖縄は憲法に基づく法治国家ではなく、犯罪の歯止めが利かない放置国家だ、というのが実感でしょう。それを許しているのが、1960年の日米安保条約改定に伴って結ばれた日米地位協定です。米軍に特権的な地位や基地の自由な管理を認め、日本の法律の適用を免除する治外法権を与えています。しかも、違反しても罰則がない。米兵の起訴率は1割ほどなので、犯罪が後を絶たないのです。特に、相手を支配するよう日々の軍事訓練で刷り込まれた海兵隊員による凶悪事件が目立ちます。

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 いま、地位協定の改定を求める声が高まっていますが、実現性は極めて低いと思います。日本もまた同じように不平等な地位協定を海外で結んでいるからです。

 2003年に自衛隊を派兵したイラクの隣国クウェートと、さらに自衛隊が拠点を置くアフリカのジブチとも結んでいます。隊員が現地で罪を犯した場合、公務中か否かに関わらず裁判権を日本がもつなど、日米地位協定と同様の内容です。「ドラえもん」でジャイアンにいじめられたスネ夫のび太をいじめるようなものでしょう。このため日本は米国に地位協定の改定を求められない。自衛隊の海外派兵・駐留も、地位協定改定を阻む壁になっています。

 日米地位協定は28条しかなく、実際の運用は、外務・防衛・法務など日本の官僚と米軍幹部らによる日米合同委員会で決められています。議事録はほとんど公開されず、いくつもの秘密合意、密約が重ねられ、外務省の担当職員でさえすべてを把握し切れないほど内容は複雑で難解です。

 日本では、難しい問題は先送りするのが出世の鉄則です。だから官僚も政治家も地位協定には手をつけない。司法も同じです。基地の騒音をめぐる訴訟では、米軍は日本政府の直接の指揮から外れた第三者とする「第三者行為論」を持ち出して判断を避けています。

 第2次大戦で国内最大の地上戦となった沖縄では、住民の4人に1人が犠牲になりました。戦後は本土と切り離され、米軍施政下で命や土地を奪われ、自治も認められなかった。それだけに沖縄の人々は、基本的人権生存権法の下の平等、さらに地方自治を認めた平和憲法の庇護(ひご)の下に入ることを選んで「アメリカ世(ゆー)」と訣別(けつべつ)したのです。敗戦から27年後、沖縄は日米の政府に抗(あらが)って憲法を奪い取った。それなのに復帰してみると、憲法よりも地位協定のほうが上位にあったのです。

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 地位協定の条文を変える「改定」は難しくても、できることはあります。たとえば、「違反した場合には別に定める」として罰則規定を設ける。米軍機が規定を破って深夜早朝に飛行したら「飛行停止1週間」、悪質なら「飛行停止1カ月」などとする。県条例で米兵が基地外に出る時や基地外で飲酒する時にパスポートの提示を求める。米軍の基地外居住者には住民登録させて住民税を課すのもいいでしょう。あるいは、イタリアやドイツのように国内法を適用できるようにする。

 米軍属の男が逮捕された翌日、安倍首相は米国側に厳正な対応を求める意向を示しましたが、逮捕当日にコメントはなかった。怒りの言葉さえないのかと思いました。主権国家として根本的な解決は図ろうとしない。ならば沖縄県は、憲法が認める地方自治を掲げ、県民の命を自力で守るほかなくなるでしょう。

 (聞き手・諸永裕司)

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 まえどまりひろもり 60年生まれ。琉球新報論説委員長などを経て、現職。専門は基地経済論。編著に「日米地位協定入門」、著書に「沖縄と米軍基地」ほか。
    −−「憲法を考える:忘れられた島 岸政彦さん、前泊博盛さん」、『朝日新聞』2016年06月23日(木)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12422558.html


 


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