覚え書:「2016参院選 投票前に考える 『主権者教育』縛られた教室で」、『朝日新聞』2016年07月06日(水)付。

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2016参院選 投票前に考える 「主権者教育」縛られた教室で
2016年7月6日

時間の中の主権者/憲法前文

 新たに18、19歳の有権者が誕生したことで、にわかに「主権者教育」がうたわれるようになった。だが、主権者は本来、年齢とは何の関係もない。主権者は有権者とイコールでもない。主権者とは、国に与えられた選挙権をただ行使する者ではなく、国のあり方を最終的に決める力を持つはずなのだが――。

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 ■「教員も子どもも窒息」

 6月末、山梨県弁護士会主催のシンポジウムで、私立駿台甲府高校(甲府市)3年の樋口絢音(あやね)さん(18)が発言した。「学校で選挙のやり方だけを教わってもピンと来ない。政治の根本的な情報が欲しいと思う」

 選挙権は与えられたが、果たして「主権者」として扱われているのか――。そんな問題提起だった。

 都内の小学校に勤める宮澤弘道教諭(39)は昨春、担任する4年生の学級の壁に「学級目標」を貼った。「平和を希求するクラス」

 ところが6月ごろ副校長から校長の指示として「『平和』という言葉には思想的な部分がある。外してほしい」と言われたという。

 当時の校長は話す。「偏っているといった指摘はしていない。『みんな仲よいクラス』などわかりやすい言葉にするよう求めた」

 理由に納得できなかった宮澤さんは、外さないまま学年末を迎えた。

 教室では「平和」という言葉は使えないのか? 宮澤さんは思う。自衛隊のポスターに「平和を仕事に」とあるのを見つけ、「どんな仕事?」と聞いてきた子がいた。例えばそれをきっかけに、「平和を希求する」とはどんなことかを皆で話し合いたい。「どこからも文句が来ないよう自粛していると、教員も子どもも窒息してしまう」

 文部科学省は幼児期からの「主権者教育」を進める。だが自由にものが言えない教室で自ら考え判断する主権者が育つだろうか。

 東京都内の中学校教諭(42)は昨年7月、公民の授業で原発問題を取りあげるのに朝日新聞と読売新聞の社説を使おうとした。副校長に話すと、「2紙では足りない」といわれたという。「産経や日経も」「いや、毎日や東京もあった方がいい」。目の前で校長と副校長が相談し、結局、全国紙とブロック紙計6紙を使うことになったという。

 山口県立高校で安保法制を題材に朝日と日経の2紙を使った授業が県議会で問題視された直後のことだ。

 「授業の狙いより新聞の数か」と教諭はこぼす。

 ■「投票へ」促して終わり

 実際に18歳の有権者がいる高校の現場はどうか。

 文科省の調査では、今年度、3年生を対象とした主権者教育に取り組む予定だと答えたのは96%。

 そのうち指導内容として「公職選挙法や選挙の具体的な仕組み」と回答したのは82%だが、「現実の政治的事象についての話し合い活動」になると、割合は一気に30%に落ちる。

 「主権者」は社会の仕組みや決まりを自らつくる力を持つはずだ。だが、実際には社会のあり方を問うことなく、「有権者」として投票に行くよう促して終わる授業風景が広がっている。

 「選挙は主権者である国民が意思表明する一つの局面に過ぎないのに、選挙の仕組みや知識を教えることに重きが置かれすぎている」。学校現場への出前授業などに取り組む、日本弁護士連合会「市民のための法教育委員会」事務局長、村松剛弁護士(47)は現状をこう見る。

 神奈川県の高校教諭(58)はこの5月、原発と再生エネルギーを議論する政治・経済の授業をした。

 生徒から聞かれた。「先生はどう思う?」

 テレビ番組「刑事コロンボ」の主役をまねて答えた。「先生は原発は廃止し、再生エネルギーに転換すべきだと思う。でもウチのカミさんは『電気料金が上がっちゃうわよ』と言う。君らはどう考える?」

 ところが、後で校長から諭された。「一市民を名乗る人から、教師が偏向した考えを押しつけているという電話があった。気をつけてほしい」

 教諭は思う。「『先生は考えを言えないことになっています』とでも話せばよいのか。それで自分の意見を持てと指導できるのか」

 教諭の耳に、職員室の机の向こうから、若手の同僚たちの話し声が聞こえてきた。「面倒な話になる授業は、やめとこ」

 ■「勝手に決めるな」 声を上げ始めた若者

 「主権者は現在の有権者に限定されません」。宍戸常寿・東京大学教授(憲法)は言う。

 憲法前文は「われらとわれらの子孫のために……憲法を確定する」とうたう。つまり、18歳未満の国民も、これから生まれてくる国民も、すでにこの世にいない世代も主権者の一部なのだという。

 「いまを生きている有権者は、過去と未来の国民から、よりよい社会を築くよう責任を託されている。目の前の個人の利害にとらわれることなく行動することが求められています」

 ただ、主権者一人ひとりを見ると、性別、世代、考え方など様々な違いがあるため、社会全体をまとめていくには調整が必要だ。そこで選挙で選ばれた「代表」が、相手を説得したり、説得されたりしながら討論を尽くし、調整がつかない場合、最後は多数決で決める。これを正当化するのが、主権者である国民が選んだ代表による決定、という考え方だ、と宍戸教授は解説する。

 「でもいま、代表は主権者をかえりみず、決定だけを押しつけているのではないですか」。政治のリニューアルを目指して、市民が立ち上げたシンクタンクの活動に携わる、上智大大学院生の岡本明子さん(25)は言う。

 安保法の審議をきっかけに、若者たちが国会前や街頭でこう声を上げた。

 勝手に決めるな――。

 「代表は、英語でrepresent(リプリゼント)。再現するという意味がある。人々の思いを再現してくれるはずの政治が、選挙で勝てば白紙委任を得たように振る舞った結果、若者が、主権者とは何かを真剣に考え始めたのではないでしょうか」

 (編集委員・氏岡真弓 編集委員・豊秀一)

 ■私たちは代表されているか

 私たち主権者は、ほんとうに議員たちに代表されているか。

 今、多くの民主主義国で選挙で選ばれた政治家への疑問がふくらんでいる。

 選挙の投票率が下がる一方で、デモに繰り出す人は多い。英国の欧州連合(EU)離脱問題が示したように、議会選挙より国民投票が熱を帯びる。人々は、自分たちの声を議員たちが政府に届けていないと感じ、それ以外の限られた機会に思いのたけを伝えようとしているようだ。

 なぜ「代表されていない」と感じるのか。

 議会が「行政府の専有物になり、もはや人々を代表する機関ではなくなっている」。フランスの歴史家、ピエール・ロザンヴァロン氏は近著「良い統治」で、そう指摘する。選挙以外の民意のチャンネル「カウンターデモクラシー」の意義を強調した民主主義研究の大家だ。政党には「政府に対して市民を代表するより、市民に対して政府を代表している」と痛烈だ。

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 行政府の長である安倍晋三首相は5月、衆院予算委員会で「私は立法府の長」と発言した。議事録ではあっさりと「行政府の長」に訂正されている。が、それは言い間違いではなく、身もふたもない真実ではないか。事実上、立法府の長としてふるまっているという真実。

 消費増税再延期を表明した先月1日、首相は「参院選を通して国民の信を問いたい」と訴えた。しかし、この国の未来に関わる方針転換を国会では議論しなかった。にもかかわらず、その議員の選出を通して「信を問う」という。議員一人一人を、国民の代表として熟議をする主体ではなく、ただの「頭数」と考える思想がのぞく。

 立法府も、行政府に「専有物」と高をくくられたままでいいのか。ほんとうの「立法府の長」が、首相の「越権」発言に抗議をしたとは聞かない。

 議院内閣制と政党政治の病んだ姿を見るようだ。

     ■   ■

 首相は選挙後の憲法改正への取り組みをはっきりさせていない。ただ先月の党首討論会では、国民投票に言及し、その役割を「条文をどのように変えていくか」についての判断だと述べていた。「憲法審査会において、逐条的な議論を行い、集約していく、そしてそれを国民投票で問うべきだろうと思います」

 改憲に動き出すかどうかは、改憲勢力が両院で3分の2の議席を確保した時点で決着、次は、国民投票に向けての改憲内容の検討――。両院での「3分の2」から国民投票での「2分の1超」へ。憲法議論も、「頭数」を獲得する戦略に回収していくのだろうか。

 しかし、「代表されていない」という感覚を放置したまま改憲へ進もうとしても、新しい憲法草案を人々が「自分たちのもの」と感じるのは難しいだろう。

 行政府が、私たち主権者やその代表である議員を「頭数」に還元しないように、投票日も、そのあとも監視し牽制(けんせい)し続ける。それもまた主権者の仕事だ。

 (編集委員・大野博人)
    −−「2016参院選 投票前に考える 『主権者教育』縛られた教室で」、『朝日新聞』2016年07月06日(水)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12444278.html


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