覚え書:「悩んで読むか、読んで悩むか 意味があると信じて生きていく 穂村弘さん [文]穂村弘(歌人)」、『朝日新聞』2016年10月02日(日)付。

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悩んで読むか、読んで悩むか
意味があると信じて生きていく 穂村弘さん
[文]穂村弘歌人)  [掲載]2016年10月02日

ほむら・ひろし 62年生まれ。歌人。近著に『穂村弘の、こんなところで。』『鳥肌が』など


■相談 「努力が足りない」と言われショック

 ピアノの先生に「努力が足りない」と言われてしまいました。ひそかに自分は努力家だと思っていただけに、そのことをほめて欲しいとは思わないけれど、とてもショックで振り払えないでいます。先生は、こんなきつい言葉を言ったことは忘れてしまったようですが、「努力」という言葉そのものが嫌いになりそうです。こんな私に効く本を教えて下さい。
 (東京都、自治体非常勤職員女性・55歳)

■今週は穂村弘さんが回答します

 本当に「努力が足りない」かどうか、先生には断言できませんよね。努力の量は、はっきりとは目に見えないから。先生にわかるのは、十分な結果が出ていない、ということだけでしょう。
 でも、日本においては「結果が出ていない」ことが「努力が足りない」と表現されがちだと思います。先生の言葉の裏側にも、努力すればもっとできるはず、という励ましの気持ちがあったのかもしれません。
 ただ、どうなんだろう。「努力が足りない」と「結果が出ていない」だったら、私なら、努力不足と決めつけられる方が嫌な気がします。
 『3月のライオン』は、将棋のプロの世界を描いた漫画です。その中に、「だって、努力できるのも才能じゃん」という言葉が出てきます。強くなれず、にも拘(かか)わらず、そのためのひたむきな努力もできなかった少年の捨(す)て台詞(ぜりふ)です。これを見た時、どきっとしました。実はそうなのかも、と思ったんです。
 一般には「才能×努力=結果」という図式が信じられています。でも、もしも「努力できるのも才能」ならば「才能=結果」というシンプルな図式だけが残ります。ただ、私を含めた多くの人はそれでは困る、というか、耐えられない。努力なんて全然好きな言葉じゃないし、「努力が足りない」よりは「結果が出ていない」と云(い)われる方がましだけど、その結果を左右するのが才能だけ、というのは最悪です。それでは生きることの意味自体が危うくなる。
 結果は誰の目にも見える。努力はそうではない。そして才能は誰の目にも見えない。だからこそ、人間は自分の選択や行為に意味があると信じて生きていけるんじゃないか。
 この作品には、一人一人の努力と勝敗という結果の関係(或〈ある〉いは無関係)が生々しく表現されています。私はその残酷さに夢中になりました。年齢も立場も超えて、ぎりぎりの戦いに挑む人々の姿を見ているうちに、努力すること、そして生きることについての感覚が変わってしまうかもしれません。是非御(ご)一読を。
    ◇
 次回は作家の三浦しをんさんが答えます。
    ◇
 ■悩み募集
 住所、氏名、年齢、職業、電話番号、希望の回答者を明記し、郵送は〒104・8011 朝日新聞読書面「悩んで読むか、読んで悩むか」係、Eメールはdokusho−soudan@asahi.comへ。採用者には図書カード2000円分を進呈します。
    −−「悩んで読むか、読んで悩むか 意味があると信じて生きていく 穂村弘さん [文]穂村弘歌人)」、『朝日新聞』2016年10月02日(日)付。

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