覚え書:「耕論 天皇と退位 半藤一利さん、原武史さん、御厨貴さん」、『朝日新聞』2016年07月15日(金)付。

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耕論 天皇と退位 半藤一利さん、原武史さん、御厨貴さん
2016年7月15日
  
 生きて、その立場を退く道は開けるのか。天皇陛下のご意向は、戦争を経て社会に位置づけ直された天皇のあり方を、私たちに問いかけている。

 ■皇室と憲法、国民に問う 半藤一利さん(作家)

 「生前退位」のご意向が天皇陛下にあるとすれば、国民一人ひとりが、皇室のありようと国のかたちをどうするか、しっかり考えて欲しい、というメッセージではないでしょうか。

 とりわけ、戦争を知らない若い人に考えて欲しい、ということだと思えてなりません。

 即位以来、陛下は日本国憲法の1条が定める「国民統合の象徴」としてのあり方と、9条の「戦争の放棄」とを結びつける作業を、身をもって体現されようとしてきたと思います。

 昨年はパラオ、今年1月にはフィリピンなど、太平洋戦争での激戦地を訪れる慰霊の旅を続けてこられたのも、現行憲法下で初めて即位した自分こそが、なすべき仕事であるというご覚悟あってのことでした。

 陛下ご自身の戦争体験も、これらの行動の基礎にあるのではないかと想像します。

 陛下は終戦の前後、栃木県日光市などに疎開されました。

 これは、米軍機の空襲を避けたこともありますが、旧軍部内などに、昭和天皇に代わって皇太子だった陛下に皇位を継承させようとたくらむ勢力がおり、こうした連中から守るという意味もあったようです。

 首都に戻られたのは、終戦の年の11月25日でした。東京大空襲で焼け野原と化した惨状を目の当たりにされて、大きな衝撃を受けられました。

 戦後50年の慰霊の旅で、大空襲の犠牲者が眠る東京都慰霊堂を訪ねられた際、「各地の都市が空襲や艦砲射撃を受け、多くの人々の命が失われました。東京もしばしば空襲を受け、特に昭和20年3月10日の大空襲では8万人の人々が亡くなりました。燃え盛る火に追われ、命を失った幾多の人々のことを私どもは決して忘れることなく平和を希求し続けていかなくてはなりません」と陛下が述べられていることからも分かります。

 改憲を主張する人々から、天皇を「日本国の元首である」とする条文を盛り込もうという主張が出ています。しかし、天皇が政治的な権力や、軍事的な統帥権を持たされて無謀な戦争に突っ込み、破滅的な敗北を喫した経験を忘れてはなりません。

 陛下も、元首としての天皇などという戦前の姿に戻ることは、およそお望みではないと思います。国民に敬愛され、信頼され、緩やかに日本をまとめている現在のあり方こそが、天皇制の長い歴史の中で、伝統であり、本来の姿であるとお考えであると思います。

 憲法1条のもう一つの柱が、天皇の地位は「主権の存する日本国民の総意に基づく」であることを思わずにいられません。今回の議論を、天皇(大元帥)を利用し、日本を亡国に導いた歴史を踏まえ、天皇制と憲法を考える機会にしたいものです。

 (聞き手 編集委員・駒野剛)

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 はんどうかずとし 30年生まれ。「文芸春秋」編集長などを務める。「日本のいちばん長い日」「山本五十六」などの昭和史関連の著書多数。「歴史探偵」を自称。

 ■過去と未来見据えた決断 原武史さん(放送大学教授)

 東日本大震災以降、ともすると政治的ととれるような天皇ご夫妻の発言が増えてきました。震災直後には国民にビデオメッセージを出し、2013年の皇后誕生日には、五日市憲法草案に言及しています。一歩踏み出し、国民に積極的に発信するようになった。

 今回の決断は、その延長線上にあると見ることもできますが、これまでとはレベルの違う問題をはらんでいます。生前退位は、皇室典範の改正を必要とする大きな転換です。その議論が天皇ご自身の意思で提起されるとすれば、憲法で規定された象徴天皇制との齟齬(そご)をきたす恐れがある。大正天皇のときは摂政が置かれましたが、これは皇室典範の規定にのっとっていた。今回これほど大きな決断をされた背景には、二つの思いがあったのではないでしょうか。

 一つは、明治以降の天皇制のあり方に区切りを付けたいという思いです。長い天皇制の歴史を通してみると、明治から戦前、戦中にかけては天皇の存在感が強まっていった特異な時代でした。その天皇制のあり方が敗戦で一掃されたかというと、決してそうではない。

 皇室典範は戦後改正されたとはいえ、明治時代の内容をかなり踏襲しています。明治から平成までの天皇制は、一つのまとまりととらえられる。その残滓(ざんし)をできるだけ取り除いておきたいという思いがあるように見えます。

 天皇制の歴史では、生前譲位が行われた時期のほうが圧倒的に長いのです。それが明治以降、できなくなった。そうした「つくられた伝統」から脱し、天皇制の本来の姿に回帰しようという意識が強いのでしょう。

 もう一つは、天皇制の未来に対する強い危機感です。このままだと、次代の天皇は、いなくなる皇太子の代わりに弟をその地位につかせる変則的なかたちになる。天皇制がいわば二元化し、不安定化するのではないかという危惧から、自分が生きているうちに代替わりし、行く末を見守りたいという思いがあるのではないでしょうか。

 ただし、これは両刃の剣でもあります。天皇と「皇太弟」の他に「上皇」ができるわけですから、かえって不安定になる恐れもある。そこまで見越した上で、パンドラの箱を開けるような思い切ったことをせざるをえないほど、将来への不安が強いのではないかと思います。

 生前退位が現実のことになれば、今度はそれが先例となって、その先の皇位継承もより柔軟なものになるかもしれません。そこまで視野に入れたというのは、うがちすぎでしょうか。いずれにしても、天皇制を永続させるために、過去と未来の双方を見据えた、熟慮の末の決断なのでしょう。

 (聞き手・尾沢智史)

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 はらたけし 62年生まれ。専門は政治思想史。明治学院大教授などを経て現職。著書に「大正天皇」「昭和天皇」「皇后考」など。

 ■多面的に議論し実現を 御厨貴さん(東京大学名誉教授)

 今の陛下のお気持ちとお言葉を素直に受けとめて、必要な手続きを粛々と進めるべきでしょう。国民の象徴としての天皇が晩年をどうお過ごしになるべきなのか。近代日本が初めて直面する歴史的な意義があります。

 天皇と退位は、重いテーマです。昭和天皇のときは、第2次大戦の敗戦が近づく中、近衛文麿らの終戦工作とからめて退位論が浮上しました。戦後も東京裁判との関係で退位問題が再浮上し、米国による占領終結後の退位を木戸幸一が進言しましたが、吉田茂が反対した。政治に翻弄(ほんろう)されながら、大元帥から象徴天皇になったのです。

 一方、今の陛下は即位の時から現憲法下での天皇です。退位や譲位について、客観的、価値中立的に考えることができるのでしょう。両陛下がお元気なうちに、次の世代の象徴天皇と皇后に円満に引き継ぎたい、それをしっかり見届けたいというお気持ちなのではないでしょうか。それで、その後の皇統も定まっていくでしょう。

 公務の負担を軽くすれば済むこと、と言うのは簡単ですが、「すべての公務が重要で、無駄なことなど一つもない」という信念をお持ちの今の陛下には難しいのだと思います。

 社会が高齢化に対応しようとしているとき、国民とともに歩む天皇にも引退や隠居を認めるか議論することは大切なことです。今さら、上皇による院政を持ち出したり、中世には争いにつながったなどと騒いだりせず冷静に受け止めるべきです。

 もちろん、目配りすべき課題がないわけではありません。天皇の政治的な行為だといった批判もあるかもしれません。しかし、皇室典範の改正は、天皇の強い意思がないと動かすことは難しいのが現実だと思います。

 生前退位に道を開くための検討は、三つのレベルで進めるべきです。一つは理論的検討です。天皇制の思想史的な背景を踏まえ、国民が納得できなければなりません。有識者会議のような場が必要になるでしょう。

 二つ目は行政的検討。宮内庁内閣官房で、譲位あるいは退位をした後の天皇と皇后の地位などを考える必要があります。権能、経済的な裏付けなどもれなく考えねばなりません。

 三つ目は政治的な検討です。政権の意向、さらに与野党が国会でどう議論するのかがカギです。理論と行政の検討内容に基づいて、政治が皇室典範改正について検討する。これは、簡単に次の臨時国会でできるといった課題ではなく、1年かそれ以上をかけて、国民といっしょに議論する必要があります。

 偶然ですが、参院選の結果で改憲勢力が3分の2を超えました。憲法審査会も動き出すでしょうし、憲法ともからみ議論が深まっていけばと思います。

 (聞き手・池田伸壹)

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 みくりやたかし 51年生まれ。青山学院大特任教授。天皇、皇室と近代の政治について研究している。著書に「天皇と政治――近代日本のダイナミズム」など。
    −−「耕論 天皇と退位 半藤一利さん、原武史さん、御厨貴さん」、『朝日新聞』2016年07月15日(金)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12460801.html


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