覚え書:「第三帝国 [著]ロベルト・ボラーニョ [評者]大竹昭子(作家)」、『朝日新聞』2016年10月16日(日)付。

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第三帝国 [著]ロベルト・ボラーニョ
[評者]大竹昭子(作家)  [掲載]2016年10月16日   [ジャンル]歴史 政治 
 
■弛みと緊張が呼び覚ます感情

 チリの作家、ロベルト・ボラーニョのことは、『通話』の初邦訳が出た際に知ったが、そのときに覚えた不思議な親密感は、その後どんな作品を読んでも変わることがない。
 『第三帝国』という書名にナチを連想するが、戦時とは真逆(まぎゃく)の、ドイツ人の若者ウドのだらだらした日常が日記形式で綴(つづ)られる。だらけているのは夏のバカンスでスペインの海辺にガールフレンドと滞在しているからだ。現地で知り合った別のカップルと食事したり、いかがわしい連中と飲みにいったりと、休暇中の人間たちが繰り広げるどこか頼りなげなふわふわした時の経過は、ボラーニョの手にかかると輝きを放つ。テンションが急上昇するのは半分を過ぎたあたりからで、『第三帝国』の意味が明らかになっていく。
 ウドはセミプロのゲーマー。「第三帝国」とはナチのヨーロッパ侵略をモチーフにしたボードゲームの名だ。雑誌に記事を書くのに新しい攻略法を考案中のウドは、ガールフレンドになじられながらも海に行かずに部屋でゲームをしている。だが、その独りプレイは、海辺で出会ったひどい火傷(やけど)の跡がある謎の男によって破られる。架空の戦争が自堕落な日常を一変させ、結果如何(いかん)ではその戦いが現実に移行するかもしれない不穏さに、ウドの神経はとぎすまされていく。
 日々の制約から解放されたときに忍び寄ってくる不吉な気配。私がボラーニョに惹(ひ)かれるのは、この弛緩(しかん)と緊張の交錯する感覚なのだ。そこには、軍事政権下のチリを脱出し、長く放浪していたボラーニョの生の実感が投影されているのはまちがいないだろう。と同時に、帰属する場を持たない状態が引き起こす弛(ゆる)みと緊張、不安と恐怖などが、青春の戸惑いにも似た苦い感情を呼び覚ます。
 とはいえ、不安が絶望感や悲壮感に発展しないのがボラーニョだ。世界が動いていることへの期待に、心は常に開かれている。
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 Roberto Bolano 1953−2003年。チリ生まれ。著書に『野生の探偵たち』『はるかな星』『2666』など。
    −−「第三帝国 [著]ロベルト・ボラーニョ [評者]大竹昭子(作家)」、『朝日新聞』2016年10月16日(日)付。

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