覚え書:「終わりと始まり 難民問題を考える:下 排除の世界の入り口で 池澤夏樹」、『朝日新聞』2016年08月03日(水)付。

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終わりと始まり 難民問題を考える:下 排除の世界の入り口で 池澤夏樹
2016年8月3日

難民収容施設には難民の子どもたちの笑顔があった=池澤夏樹さん撮影
 前回の続き。

 ベルリンを出てギリシャに向かった。

 かつてぼくが住んでいた国で、アテネには友人もいるが、今回はまずレスボス島を目指す。古代の女性詩人サッフォーの生地として知られ、「レスビアン」の語源ともなったこの島は、今はいちばん大きな町の名を取ってミティリニと呼ばれることが多い。

 島はトルコログイン前の続きの対岸にあり、その間は狭いところで十五キロほど。シリアなどからの難民がヨーロッパに渡るルートの一つとして使われてきた。言わば最前線である。

 ここをはじめとするギリシャの島々の人たちは難民支援の努力で広く世界的に有名になった。この二月、彼らにノーベル平和賞をという運動はネット上で六十万人の署名を集めた。

 幅の狭い海峡とはいえ、非合法にゴムボートなどで渡るのには危険が伴う。正式の港が使えないから砂浜などに着くわけで、上陸の時に事故が起こりやすい。上がってからも難民キャンプまでの移動などには多くのボランティアの助けが要る。

     *

 島の道路を走っていると、海岸から数十メートル、標高にして十メートルほどのところの道ばたの柵にオレンジ色の救命具が引っかけてあった。ここまで来ればもう安全、と思って脱いで捨てたことがわかるような光景。

 島の知人の話では、彼らは市街地以外の至るところの浜から上陸したという。

 実際に渡ってきた人たちの話を聞きたいと思ったのだが、これがなかなか難しかった。まずはカラ・テペというところのキャンプに行ってみたが、中には入れてもらえない。

 もう一箇所、モリアにもキャンプがあったけれど、これは数日前のトラブルで閉鎖になってしまっていた。若い連中の喧嘩(けんか)があって、それを鎮めるのに管理する側が催涙弾まで使ったので騒ぎが大きくなり、収容された人々は本土の別のキャンプに分散して移されたという。

 この島に着いた人たちはたいてい船でピレウスの港に行って、そこからバスでセルビアなどの国境に運ばれ、更に国から国を渡ってドイツなどを目指す。

 町の反対側のゲラス湾に面したあるホテルがそのまま難民収容施設になっていると教えられた。三人の子供と一緒にいるアズマという母親が体験を話してくれるという。

 しかし行ってみると、情報と異なって彼女は英語を話さない。ぼくはギリシャ語ならばともかくアラビア語まではできない。通訳してくれる人もいない。どこかで行き違ってしまった。

 そこで、この施設でボランティアとして難民の世話をしているクロエという女性から話を聞くことにした。

 カリタスというカトリック系のボランティア団体がこのホテルを借り上げ、母と子だけとか父と子だけの家族、障害者、老人など二百五十人に住む場所を提供している。出身地はシリアばかりでなく、パレスチナやイラン、イラクなど広い範囲に及ぶ。

 辛(つら)いのはカラ・テペのキャンプなどからここに移れる人の数に制限があること。それでも、ここに着いた時、バスから降りた子供たちが遊具の揃(そろ)った庭に歓声をあげてまっしぐらに走って行く姿に救われる、とクロエは言う。

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 この話を聞いてぼくは二〇〇二年にバグダッドの素朴な遊園地で嬉(うれ)しそうに遊ぶ子供たちを思い出した。あそこは今はどうなっているのだろう。

 ぼくとクロエが話しているまわりを子供たちが走り回る。その家族がゆったりと坐(すわ)ってお喋(しゃべ)りをしている。今は安心、今は大丈夫。

 しかし彼らにとってここは経由地でしかない。いずれは次の土地へ移り、また移り、安定した暮らしになるのは何時(いつ)で、それは何処(どこ)なのか。

 ギリシャ人であるクロエは、経済問題などで何かと低く見られるこの国に、難民に手を貸そうとする人が多いことを誇りに思うと言った。

 実際、国として困窮の度は相当なものだ。アテネのぼくがかつて住んでいた地域など、路面は荒れ、ゴミは散り、行政サービスの低下が一目でわかる。だからこそ、この彼女の誇りは大事なのだ。それは経済とは別に人間には隣人愛というものがまだあることを証明しているから。

 ギリシャから帰ってから今までの間に、世界ではたくさんのことが起こった。どの国も難民に対して頑(かたく)なになり、イギリスはEU離脱を決め、ニースではテロがあり、ミュンヘン若い人たちが殺された。日本では選民思想に基づく大量殺人があった。

 そういう時代なのだ。我々は排除と独占と抗争の世界の入り口で戸惑っている。多種多様な人が混じり合って平和に暮らすには叡智(えいち)が要るが、その叡智がみるみる減ってゆく。中世に戻るのは避けがたいことなのか。

 ◇難民問題を考える特別版です。(上)は7月27日に掲載しました。
    −−「終わりと始まり 難民問題を考える:下 排除の世界の入り口で 池澤夏樹」、『朝日新聞』2016年08月03日(水)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12494590.html





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