日記:国民の意向とは正反対に疾走するアベ政治をアシストする南元町の傀儡たちが正気であるなら吉野作造の言葉に関心を持って欲しい

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吉野作造 民本主義100年
博士(文学) 吉野作造記念館主任研究員

「立憲国家では国民の意向に沿う政治必要」と説く

 ちょうど今から100年前の1916年(大正5年)、吉野作造大正デモクラシー運動の理論的基礎となった論文「憲政の本義を説いて其有終の美を済すの途を論ず」を発表しました。
 吉野作造が登場したのは大正時代。次第に藩閥軍閥政府に対する国民の不満が高まっていたところ、吉野は新進気鋭の政治学者として、雑誌『中央公論』で政治評論の筆を執っていました。「憲政の本義を説いて其有終の美を済すの途を論ず」は1916年の新年号に掲載された論文で、この論文は世に広く議論を巻き起こし、吉野は大正デモクラシーの象徴的な存在として知られるようになります。この論文で吉野は「民本主義」という言葉を使い、立憲国家では国民の利福のために、国民の意向に基づいた政治が行わなければならないと論じました。
 「民本主義」とは「民は惟れ邦の本なり」(書経)に由来した言葉で、哲学者の井上哲次郎などは、「民本主義」から「臣民の福利を重んずべき」という考え方を導き出し、国民のために善政を行う思想として「民本主義」を肯定していました。しかし吉野の「民本主義」では、国民の利福だけでなく、国民の意向に基づくことの必要が指摘されました。そして、主権がどこにあるのかという所在の問題ではなく、主権の実際運用のあり方を問うことによって、世論を政治に反映させ、ひいては普通選挙政党政治への道筋を切り開こうとしたのです。
 主権の問題を棚上げしたことは、天皇主権を重んじる国家主義者だけではなく、社会主義の陣営からも中途半端な思想であると非難を受けました。しかし、当時の政治状況を冷静に分析し、段階的なデモクラシーの発展を目指した吉野の主張は、国民に広く受け入れられ、日本のデモクラシーの基礎を作ることになったのです。
 吉野にとってのデモクラシーとは、単なる政治制度の問題ではなく、人々が互いに人格を尊重しあうことで社会を成り立たせようとする、言うなれば世界の根本原理でした。この考え方を世界に広げれば国際民主主義となり、第一次世界大戦後の世界的な民族自決の動きに吉野は敬意を示し、他民族との協調による国際平和を主張しました。また国内においては、当時の厳しい経済格差に対して生存権を早くから主張し、セツルメント運動など社会的弱者を助ける活動にも余念がありませんでした。
 翻って今日、戦後70年が過ぎた日本ですが、人々が平和で豊かな暮らしが十分に実現されたわけではありません。人々が助け合って生きる社会を目指した吉野のデモクラシーの思想は、今なお色あせない価値を持っているのです。(こじま・しょう)
    −−「吉野作造 民本主義100年=小嶋翔」、『公明新聞』2016年11月11日(金)付。

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