覚え書:「耕論 象徴天皇のあり方 高埜利彦さん、西村裕一さん」、『朝日新聞』2016年08月09日(火)付。

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耕論 象徴天皇のあり方 高埜利彦さん、西村裕一さん
2016年8月9日

 象徴天皇のあり方が、憲法公布70年の年に、国民的議論の対象として浮かび上がった。冷静に、深く考えるには、歴史に現れた天皇のさまざまな姿を位置づけつつ、憲法の定める「象徴」の意味とそこにひそむ問題点を、丹念に解きほぐしていく必要がありそうだ。

 ■普遍的な形、創るための退位 高埜利彦さん(歴史学者ログイン前の続き・学習院大学教授)

 「大日本帝国万世一系天皇之(これ)ヲ統治ス」「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」などと規定した旧憲法時代の天皇の姿は、日本の歴史の中で、全くの例外です。

 仮に、そうした支配者としての天皇に戻そうとする動きがあったとしたら、ご本人にも日本人にも、不幸な過去の繰り返しということになりかねません。

 天皇の歴史は、日本の歴史がそうであったように、実に多様性に富んだものでした。

 大づかみに見ても、古代律令制の時期、そこからはみ出した院政の段階、武家による幕府の成立で権力が公武に分割された時代、南北朝の動乱期に武家が権力を独占した際に正統性を与える権威として存在した段階、さらに江戸期には封建的な主従制が強化される中で、それを補完する権威の源泉となったように、絶えず変化し続けてきました。

 こうしてみても、戦前のように、統治権だけではなく軍隊を指揮する統帥権まで担わされた絶対権力者としての姿が、いかに異例の天皇像だったかが分かります。

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 陛下は実に勉強家で、江戸期の天子のあり方についても非常によくご存じです。1996年に没後300年を迎えた明正(めいしょう)天皇についてご一家の前で話をしたことがあります。明正は先代の後水尾(ごみずのお)天皇と徳川の2代将軍秀忠の娘の間に生まれた女帝ですが、皇后さまが持たれた疑問に陛下が直接答えられる場面もありました。

 今回の退位なり、火葬を望まれていることも、過去の事実を幅広くご存じになってのお話と想像します。

 江戸期の天皇の役割は、歴代将軍と家康をまつる東照宮の権威づけのほか、国家の安全や将軍の病気平癒を仏教、神道、陰陽(おんみょう)道を駆使して祈り、古代以来担った元号や官位を決めることなどでした。

 ただ、これらは幕府の統制と意思に強く左右されていました。

 一方、旧憲法下の皇室制度では生前の譲位規定が盛り込まれませんでしたが、江戸期はしばしば、天皇は皇子らに譲位して、自らは上皇になることがありました。引き継ぐ天皇が幼少だったり、女帝だったりした時は、上皇が手助けのために、院政を敷くケースも江戸期だけで8度ありました。

 陛下が退位のご意向をもたれたとしても、過去の歴史から見れば、異例のことではないのです。

 後水尾も、上洛した3代将軍家光らに会うため二条城に行幸した後は、御所から出ることを許されませんでしたが、上皇になられた後は、ご一家と一緒に京都郊外を訪れるなど、実にのびのびと暮らしを楽しまれました。

 退位されるなら、完全にご隠居となって、公務などに縛られないお暮らしをされればいいと思います。皇居の中に退位された方が暮らす、かつての仙洞(せんとう)御所のような施設を設けてもいいでしょう。

 古代などにあった天皇上皇との対立は、「先代が当代のやることに一切口を挟まない」という鉄則を守れば問題ないはずです。

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 むしろ、陛下のご懸念は、天皇の私的行為として務めてこられた宮中祭祀(さいし)が、皇位の継承者たちに、きちんと引き継がれるかどうかではないかと思います。

 祭祀は、代々の天皇が欠かさず守ってきましたが、ご本人だけでなく、ご一家の負担も大きい。いま、ご意向を示されたのは、こうした覚悟があるのか、と継承者に突きつけたことでもあります。

 陛下が復古主義に立って退位を考えられたとは思えません。即位の時点から現憲法があり、象徴天皇としての形を自ら創られてきた。広大な陵(みささぎ)を必要としない火葬を選ばれたのもその延長線ですし、退位の選択も象徴制をしっかりと次代に継承させるためです。

 天皇の歴史の中で、象徴天皇こそ普遍的な形と位置づけて、創造する史上初の取り組みなのです。(聞き手 編集委員・駒野剛)

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 たかのとしひこ 47年生まれ。東京大学史料編纂(へんさん)所を経て90年から現職。近世の天皇の研究を重ね、「近世の朝廷と宗教」や「江戸幕府と朝廷」など著書多数。

 ■「お気持ち」切り離し議論を 西村裕一さん(憲法学者北海道大学准教授)

 「象徴としてふさわしいあり方」を果たせないのであれば退位もやむを得ない、というのが天皇の意思だと報じられ、一連の議論の出発点になっています。前提には、天皇は象徴である以上「象徴としての務め」を果たすべきだという考えがあるのでしょう。

 しかし、日本国憲法4条は「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」と定めています。したがって、天皇には国事行為以外を行う「能力」を求めてはいけない、というのが憲法の立場だと解することもできます。

 にもかかわらず、現天皇は積極的に「象徴としての務め」の範囲を広げてきました。とくに先の大戦にまつわる「慰霊の旅」のように、「平成流」に好ましい効果があることはたしかです。しかしそれは、民主的な政治プロセスが果たすべき役割を天皇アウトソーシングするものともいえます。

 まず問われるべきは、天皇に一定の「能力」を要求するような、現天皇が行ってきた「象徴としての務め」のあり方でしょう。

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 生前退位の可否については、天皇の「能力」を前提とした議論とは別に、人権論の観点からも考えることができます。憲法学者の故・奥平康弘先生のいう「脱出の権利」としての「退位の自由」です。天皇は、職業選択の自由もなく、婚姻の自由や表現の自由も制約されている存在です。そのような重大な人権制約を正当化するためには「ふつうの人間」になる権利が認められなければならない、というのが奥平先生の主張です。

 もっとも、仮に天皇に退位の自由を認めるとしても、別の「誰か」の人権が制約されることに変わりはありません。天皇制は一人の人間に非人間的な生を要求するもので、「個人の尊厳」を核とする立憲主義とは原理的に矛盾します。生前退位の可否が論じられるということは、天皇制が抱えるこうした問題が国民に突きつけられる、ということを意味します。

 80歳を超えて、退位を望んでも認められないのはお気の毒であると考える人も多いでしょう。しかし、天皇をそのような境遇に追い込んでいるのは誰なのか、国民は自覚すべきであると思います。

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 今回の事案が提起したのは、日本国憲法下における天皇制のあり方という国政上の重要事項でした。指摘しておかなければならないのは、その発端が「天皇の意向」であったということです。

 そもそも「天皇の意向」といっても、天皇自身ではなく、「天皇の意向」なるものを報道機関に伝えた人物がいるのでしょう。「天皇の意向」が皇室典範改正論議の引き金になった以上、当該人物による天皇の政治利用が問題となるだけでなく、この人物が宮内庁に属しているのであれば、天皇の発言をコントロールすべき内閣にも政治責任が発生し得ます。

 にもかかわらず、だれが天皇の意向をメディアに伝えていたのか、責任を負うべき内閣はどんな判断をしていたのか、全く明らかにされていません。宮内庁や内閣の責任追及を可能にするためにも、メディアには一連の経緯を検証することが求められます。

 今後この問題は国会などで議論されることになるでしょうが、そこでは、天皇の「お気持ち」を持ち出すことは厳に排除されなければなりません。それは、天皇の影響力を国政に及ぼさないためであると同時に、天皇の「お気持ち」が切り札となることによって、議論がショートカットされるのを許さないためでもあります。

 生前退位を認めるのか。認めるとすればどんな条件をつけるのか。制度設計の議論にあたり、世論も含めた政治プロセスの中から天皇の「お気持ち」を切り離し、国民が自律的・理性的に判断をする。それによって国民主権原理が貫徹されることになるでしょう。(聞き手 編集委員・豊秀一)

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 にしむらゆういち 81年生まれ。首都大学東京准教授を経て13年から現職。憲法学史が専門で、天皇機関説事件など天皇制関係の論文も執筆。共著に「憲法学再入門」など。
    −−「耕論 象徴天皇のあり方 高埜利彦さん、西村裕一さん」、『朝日新聞』2016年08月09日(火)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12502959.html


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