覚え書:「漂流 [著]角幡唯介 [評者]市田隆(本社編集委員)」、『朝日新聞』2016年10月30日(日)付。

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漂流 [著]角幡唯介
[評者]市田隆(本社編集委員)  [掲載]2016年10月30日   [ジャンル]ノンフィクション・評伝 
 
■海に消えた漁師の影をたどって

 著者は、チベットの大峡谷に分け入り、北極圏を踏破した探検をノンフィクション作品にしてきた。本書は、海の「冒険者」たる遠洋漁業の漁師たちの生き様を追いかけた記録。自身の探検を主体とした過去の作品とは異なるが、その迫力に変わりがない。死と隣り合わせの探検を繰り返してきた著者にとって、「つねに死が身近にある」漁師の人生に深く踏み込むことは必然だったと思えてくる。
 執筆のきっかけは、1994年に救命いかだで37日間漂流した末、船員とともに奇跡的に救出された沖縄のマグロ漁船の本村実船長に会おうとしたことだ。だが、電話に出た妻は「前と同じように漁にでて帰ってこないんです」。漂流から8年後、再び漁船に乗った本村はミクロネシア付近で行方不明になっていた。
 本村の影を追うような取材を始め、彼が生まれ育った沖縄・伊良部島にある佐良浜(さらはま)の海の民の歴史をたどることになる。戦前から日本の遠洋漁業の主役を務めた「佐良浜人」には20メートル素潜りできる人が珍しくない。インドネシア周辺を「近いところ」と話す距離感覚で船出していった。超人的な漁師たちの描写は伝説の世界と現実が混然一体となった感がある。
 しかし、海の民の輝きは死の物語に縁取られている。海で死亡、消息不明となった佐良浜人が後を絶たない。「海という世界がもつ底暗い闇の奥深さ」に触れ、陸の探検家はあぜんとするしかなかった。さらに、本村と漂流の苦しみを味わった船員をグアム、フィリピンに訪ねて会った末、極限状態の真相を見極め、いかに死が近かったかを思い知る。
 何事にも動じない「図太(ずぶと)さと大胆さ」があった本村が漂流で受けた心の傷。それでも再び海に戻った本村を思いやり、心は千々に乱れる。その独白が本村ら海に消えた人々への鎮魂歌のように響くのは、自然への畏怖(いふ)の念を抱く著者の深い共感があるからだろう。
    ◇
 かくはた・ゆうすけ 76年生まれ。探検家・ノンフィクション作家。『アグルーカの行方』など
    −−「漂流 [著]角幡唯介 [評者]市田隆(本社編集委員)」、『朝日新聞』2016年10月30日(日)付。

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