覚え書:「今こそ星野道夫 進歩に潜む影、極北から提起」、『朝日新聞』2016年08月08日(月)付。

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今こそ星野道夫 進歩に潜む影、極北から提起
2016年8月8日

撮影を終えて、たき火の前でくつろぐ (C)Naoko Hoshino

 アラスカを旅して、自然と人との関わりの中から、想像する心の豊かさを問い続けた。

 今から20年前の1996年8月8日。一人の写真家の命が志半ばで絶たれた。

 星野道夫、享年43。

 星野は生前最後の写真集『アークティック・オデッセイ』(新潮社)の帯にこう記した。「これほど豊かになったのに、これほど人間が怯(おび)えている時代はないでしょう。私たちは進歩というものが内包する影にやっと気付き始め、途方に暮れています」

 当時から技術はさらに進歩し、いま、世界の距離は縮まった。だが、貧富の格差の広がりやテロの脅威で、人々の心はますます狭く閉ざされているのではないだろうか。

 グリズリー(灰色熊)やムース(ヘラジカ)が大自然に溶け込むほど小さく映った光景や、朽ち果てて森の一部にかえっていくトーテムポールなどの写真、アラスカの人々の人生観にふれた文章……。星野の写真と思索を深めた文章には、無限に広がる世界や時間を想像させる力がある。

 星野をアラスカに向かわせたのは、大学生の時に古本屋で手にした写真集に収録された一枚の写真だった。ベーリング海峡に近いシシュマレフという小さな村を空から撮った光景に心ひかれ、村の代表者に手紙を書き、20歳のひと夏をエスキモーの家族と過ごした。その後、親友が山で遭難死した事故に衝撃を受け、25歳で再びアラスカの地を踏み写真家を志した。

 季節ごとに移動するカリブー(トナカイ)の大群、毎夏現れるザトウクジラ、白銀の世界で生きるホッキョクグマたち……。星野は文章を書くことで、表現者として深みを増し、やがてアラスカの南部から極北まで、先住民族の間で広く伝わる自然に根ざした神話にひかれていく。

 「風景を自分のものとし、その土地に深くかかわってゆくために、人間は神話の力を必要としていたのだ。それは私たちが、近代社会の中で失った力でもある」(文春文庫『長い旅の途上』)。旅人からやがてアラスカに根をおろし、自然と人々の関わりをみつめるまなざしそのものが、人々を魅了していった。

 「この20年、色々な方から『勇気をもらった』という言葉をいただき、その意味をずっと考えてきた」と妻の直子さん(46)は語る。この秋、星野の文章の朗読舞台をするナレーターの磯部弘さん(54)は「さりげない一言が深い。行きつ戻りつ読んでいくとつながっていく」と魅力を語る。北極冒険家の荻田泰永さん(38)は、北極点を無補給・単独徒歩で目指した旅に、星野のエッセー集を携えた。「極限の環境の中で、星野さんの言葉は命が巡ることを感じさせてくれた」

 星野はよく「もうひとつの時間」「身近な自然」「遠い自然」という言葉を使った。日常に心を煩わされている瞬間も、アラスカの海ではクジラが跳ね、原野ではグリズリーの親子が歩いている。その光景は、自分と全くの無縁の世界ではない。「日々の暮らしの中で、心の片隅にそのことを意識できるかどうか」(同『旅をする木』)。さりげない問いかけは、今も人々の心をとらえて離さない。

 (伊藤恵里奈)

 <足あと> ほしの・みちお 1952年千葉県生まれ。慶応大学を卒業後、写真家・田中光常の助手を経て、78年アラスカ大学に入学。86年にアニマ賞、90年に木村伊兵衛写真賞を受賞。96年、ロシア・カムチャツカでヒグマの事故により急逝。

 <もっと学ぶ> 雑誌「コヨーテ」(スイッチ・パブリッシング)の最新号は特集「星野道夫の遥かなる旅」で、アラスカを巡り星野の旅の軌跡をたどる。「没後20年 特別展 星野道夫の旅」が24日から東京の松屋銀座を皮切りに、大阪、京都、横浜で順次開かれる。

 <かく語りき> 「結果が、最初の思惑通りにならなくても、そこで過ごした時間は確実に存在する。そして最後に意味をもつのは、結果ではなく、過ごしてしまった、かけがえのないその時間である」(『旅をする木』から)

 ◆過去の作家や芸術家らを学び直す意味を考えます。次回は8月15日、作曲家のエリック・サティの予定です。
    −−「今こそ星野道夫 進歩に潜む影、極北から提起」、『朝日新聞』2016年08月08日(月)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12501733.html


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