覚え書:「街頭政治 SEALDsが残したもの:1 デモ、自分たちのやり方で 秘密法反対、集った若者」、『朝日新聞』2016年08月18日(木)付。

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街頭政治 SEALDsが残したもの:1 デモ、自分たちのやり方で 秘密法反対、集った若者
2016年8月18日


首相官邸前で、特定秘密保護法施行に抗議する奥田愛基さん=2014年12月10日、川村直子撮影
 
 「なんで、デモなんかやるの?」

 2014年1月下旬、横浜市戸塚区の住宅街にある一軒家。20畳ほどの1階リビングで、当時筑波大3年だった諏訪原健(たけし)(23)は、目の前に座る当時明治学院大2年の奥田愛基(あき)(24)に尋ねた。

 初対面だった。諏訪原は同じ大学の後輩で奥田の高校の後輩でもある本間信和(21)から「絶対に会った方が良い人がいる」と勧められ、奥田が学生だけでシェアする戸塚の家まで会いに来たのだった。

 奥田は、13年12月に安倍政権が採決を強行して成立させた特定秘密保護法の問題点を熱く語った。「強権的な国会運営を傍観するしかないのか。民主主義には別の形もある。デモをリバイバルしよう」

 諏訪原は春からの就職活動で頭がいっぱいだった。デモで社会が変えられると思わないし、むしろデモをする人を警戒していた。

 一方、奥田の言葉を聞きながら生徒会長だった高校時代を思い出していた。学校は校則で髪が耳にかかることを禁じた。校則を守ることは大事だが、髪の長さを細かく制限するのはルールの趣旨を拡大解釈していると学校に反感をもった。何が秘密の情報なのかさえ秘密という特定秘密保護法は、時の政府の都合で秘密の領域を自由に拡大できる「悪法」ではないか。

 不思議な感覚で奥田の言葉に引き込まれていった。「自分たちのやり方で声を上げよう」

 翌日、諏訪原は初めて特定秘密保護法に反対するデモに参加した。諏訪原自身、のちにSEALDs(シールズ)の理論的支柱となり、「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」の中心メンバーとして、野党共闘を後押しする存在になるとは思ってもいなかった。

 奥田が初めてデモに参加したのは12年6月、大飯原発再稼働に反対する首相官邸前のデモだった。それまで、「デモって意味ある? 暇あるなら勉強しろよ」と否定的に考えていた。

 後輩から誘われ、実際に参加してみてイメージが変わった。学生、会社帰りのサラリーマン、子連れの主婦……。様々な世代の個人が集まり、自由に思いを述べていた。いつしか奥田は「官邸前抗議を見に行こうよ」と、SNSで呼びかけていた。原発再稼働の是非よりも、個人の思いを表す場としてのデモが政治や社会にどんな化学反応を起こすのか見たくなった。

 13年12月、特定秘密保護法が成立した夜、国会前にいた。スマホツイッターをみると、テレビキャスターの古舘伊知郎が「今日で民主主義が終わりました」と語っていた。

 「法律が通って俺たち、死ぬわけじゃない。終わったならまた始めればいい」

 終電を逃した奥田は大学の友人の牛田悦正(よしまさ)(23)やデモを通じて知り合った仲間と新橋の居酒屋で始発を待った。そこで、特定秘密保護法に反対するデモを始めようと決めた。その8日後、東京・高円寺のクラブイベントで再び集まった。

 「完全にオリジナルなデモをやりたい」。奥田が呼びかけると、当時独協大生だった山本雅昭(27)は答えた。「世界一かっこいいデモをやろう」

 奥田をはじめ、街頭政治のうねりを起こす中心メンバーがそろった。シールズの前身、SASPL(サスプル)(特定秘密保護法に反対する学生有志の会=Students Against Secret Protection Law)が生まれた瞬間だった。

 =敬称略

 (石松恒)

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 学生団体シールズを中心に「街頭政治」が残したものを追う連載を、総合4面で計9回掲載します。
    −−「街頭政治 SEALDsが残したもの:1 デモ、自分たちのやり方で 秘密法反対、集った若者」、『朝日新聞』2016年08月18日(木)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12516770.html





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