覚え書:「インタビュー アフリカのいまと未来 シルビー・ブリュネルさん」、『朝日新聞』2016年08月27日(月)付。

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インタビュー アフリカのいまと未来 シルビー・ブリュネルさん
2016年8月27日


「苦難はあろうとも、人口が増え続けるアフリカには未来が開けています」=パリ、国末憲人撮影
写真・図版
 内戦やテロで混乱を極める中東に比べ、アフリカは近年、緩やかな発展傾向に見える。ただ、広がる格差、抜けない独裁体質と、課題も多い。「西洋型民主主義とは異なる体制を探れ」と、援助活動に長年携わったフランスの作家シルビー・ブリュネルさんは提言する。27日からのアフリカ開発会議(TICAD)を前に聴いた。

 ――頻繁にアフリカを訪れて調査を続けているそうですね。

 「最近は、西アフリカのセネガルに行きました。この国で、表から見える海岸地帯の繁栄ぶりは目覚ましい。裕福な部分だけ見れば、『アフリカは発展しているじゃないか。何の問題もない』と思うに違いありません。でも、少し田舎に入り込むと、飲料水や電気さえ手に入らない。病気が蔓延(まんえん)し、子どもの死亡率も高い」

 「アフリカで『新興国』と呼ばれる、豊かなモロッコでも同様です。アトラス山脈の村を訪れたら、容認し難い貧困の中で人々が生活しているのがわかります」

 ――格差は今や世界共通の課題です。

 「アフリカは近年発展を遂げているだけに、逆に不平等にも拍車がかかっています。外向けには『明日の大陸』などと売り込む一方で、少数者、地方在住者、若者たちといった政治的弱者が切り捨てられている。それが、アルカイダ系組織や過激派組織『イスラム国』『ボコ・ハラム』の温床となっています。南米と並んで、世界で最も格差の激しい大陸です」

 「SNSの普及も不満を増幅しています。以前なら貧困はその地域の問題にとどまっていました。今、貧しい人も携帯を持ち、何が自分たちに欠けているかを知るようになりました」

 「本来なら再配分が必要なのに、その試みがありません。金持ちはますます金持ちになり、貧乏人は貧乏なまま。1990年、世界の貧困者のうちアフリカにいたのは5分の1でした。このままだと、2030年には2分の1になりそうです。世界はどんどん豊かになるのに、アフリカは同じところにとどまっています」

 ――アフリカは遅れてきた分、格差も少ないと思っていました。

 「実際には、アフリカ諸国は1960年代に独立した際、都市や産業化にばかり関心を抱いて、田舎をほったらかしにしてきたのです。その路線は成功しそうに見えました。アフリカは輝かしい可能性に包まれていたのです。『世界のお荷物』となるのはむしろアジアだと、当時は思われました」

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 ――アジアがアフリカよりも低く評価されていたのは意外です。

 「幼児死亡率や平均寿命、1人あたり国民総生産(当時)などの指標を総合した場合、70年代に西アフリカのコートジボワールは韓国と、ナイジェリアはインドネシアと、ほぼ同レベルでした。冷戦の影響から韓国は発展せず、コートジボワールこそ希望が持てると世界銀行などは考えていました」

 「ただ、その冷戦の最前線にいたことこそが、アジアに発展をもたらしたのです。ソ連や中国と向き合った日米は、資本主義社会の結束を強めようと、韓国や台湾、東南アジア諸国に積極的に投資して発展を促しました。貧困の中にあったアジア各国も上昇への道を学び、労働力を改善し、新興産業国から新興国、先進国へと、わずか1世代の間に成長できたのです。特に韓国は、日本の経験から多くを学びました」

 ――その一方、アフリカではそうした勢いはうまれなかったと?

 「80年代に累積債務がかさんだアフリカは、いったん危機に陥りました。その後、希少金属にも原油にも恵まれていることから特に中国の強い関心を集め、成長に転じたのですが、内需が期待できず、1次産品の価格にも左右される脆弱(ぜいじゃく)性を抱えています」

 「コートジボワールは近代化に多額の資金を注いで巨額の債務を抱え、民族対立から20年もの内紛状態に陥り、成長どころかむしろ後退しました。韓国と同じ出発点から誤った道を歩んだのです」

 「インドネシアと同様に人口と石油に恵まれたナイジェリアの場合、確かに発展しました。ただ、地方を放置し、農業を犠牲にしてのことです。アフリカ全体の国内総生産の4分の1はこの国が生み出していますが、それが国民に全く還元されていません。インドネシアでは飲料水や電気、学校が普及したのに、ナイジェリアでは国民の半分が貧困状態にあります」

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 ――アジアとアフリカで、いったい何が違ったのでしょうか。

 「社会全体の利益を見据える視点と長期的な展望を、政府が持っていたかどうかです。それがあれば、投資する側の信頼が得られ、安定した行政や治安、ビジネス環境の整備につながるのです」

 「つまるところ、もし元から豊かだったら、農業改革や政治改革の必要もありません。土地が広大で人口が少ないアフリカには、すべてがあった。だから、変革の必要性を見いだせなかった」

 「狭い土地に多くの人口が暮らすアジアでは、自己を改革し、協力して前進しなければ飢えてしまう。その意識が社会制度の整備や計画性を促しました」

 ――アフリカには、原油収入などで豊かになった国もあります。せめてその利益を分け合うしくみが育っていればと感じます。

 「実際には、アフリカにもそれなりの再配分機能が備わっています。アフリカの格差の特徴は、金持ちが富を見せびらかすことです。そうすると、おこぼれにあずかろうと仲間や関係者が集まってくる。支持の系列に入れなければ諦めるしかない。民族や宗教にかかわりなく富を再配分する近代福祉国家とは違うシステムです」

 「この状況下で選挙を実施すると、その戦略も『いかに自分たちの代表を権力の座につけるか』に絞られます。だから、政党をつくる過程でも、どの民族に属するかが決定的な要因なのです」

 ――そこで民主主義は機能しますか。

 「民主主義の基本は、一人ひとりが平等な1票を持ち、自由に投票できることです。でも、アフリカでは肌の色や出身地域、性別や家族内の役割などで、自らの地位や行動が決まります。極めて不平等な社会で、51%が49%に勝つ西洋型民主主義の原則をここに適用するには、無理があります」

 「植民地支配から独立したアフリカ諸国は、民主主義を一度も経験しないまま国家を建設せざるを得ませんでした。その結果、強権的な政治が確立され、メディア支配や野党への脅迫が常態化し、選挙が骨抜きにされました。民主主義の名に値する選挙を実施している国はほとんどありません」

 ――先の望みがない印象です。

 「アフリカで機能するのは、むしろ『長談義』のシステムでしょう。話し合いを延々と続けながらコンセンサスを形成する政治です」

 「国内のすべての政党や政治勢力、すべての民族がテーブルを囲んで議論をする。時間の制限を設けず、みんなが受け入れられる結論が出るまで話し合う。これが『長談義』です。選挙とは異なる方法です」

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 ――うまくいくでしょうか。日本人にはぴんと来ませんが。

 「(冷戦終結に伴い)アフリカ諸国が民主化を迫られた90〜91年、ベナンなどいくつかの国で試みられた『主権国民会議』がこの方法でした。それは、その後の民主的な体制を生むことにつながったのです。逆に、西洋型民主主義はうまくいきませんでした。発展にほとんど結びつかず、腐敗と利権政治を招き、アフリカに泥沼の内戦の時代をもたらしたのです」

 「一方で、日本のこれまでの歩みは、あらゆる面でアフリカに大いに参考になります。日本の援助も、インフラ整備や健康面で非常に重要です。しかも、相互利益をもたらす関係を築けています」

 「各国の腐敗体質を助長する中国のなりふり構わぬ援助に、ある種の屈辱感を感じる人は少なくありません。日本は中国に比べ随分控えめですが、援助の方向性は間違っていない。日本は中国に取って代わり得る存在だと思います」

 ――アフリカの将来は見えますか。

 「ルワンダエチオピア、ガーナなどの急激な台頭は興味深い。これらの国々の体制はまだ強権的ですが、移行期だとも考えられます。権威主義体制を経て発展した例はアジアにもありますから」

 「発展の鍵は農業です。農民の生活保障なしに、持続的な発展はあり得ません。1ヘクタールあたり1トンの穀物生産を農業近代化によって7〜10トンに増産できれば、土地への隷属から人々を解放できる。田舎を豊かにしてこそ、産業労働力の確保も女性の活躍も可能になる。すべてはそこから始まるのです」

 (聞き手 論説委員・国末憲人)

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 Sylvie Brunel 作家、パリ第4大学(ソルボンヌ)教授 1960年生まれ。専門は地理学、開発経済学。「国境なき医師団」などで人道支援活動に携わる。小説家としても著名。

 ◆キーワード

 <アフリカ開発会議(TICAD)> 日本が主導し、アフリカ諸国の首脳らが参加して開発問題を話し合うフォーラム。これまでの5回は日本で開かれたが、第6回会議は27、28日にケニアのナイロビで開催される。
    −−「インタビュー アフリカのいまと未来 シルビー・ブリュネルさん」、『朝日新聞』2016年08月27日(月)付。

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