日記:正岡子規の句会が育んだ「デモクラティック」ということ

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 やや先取り的ではあるが、これからの子規について考えていくうえで、一つの補助線となるのは、大江健三郎氏の次のような認識である。

子規はまたいかなる私小説の作家よりも勇敢にかれの全体を見せている。細部にわたって克明に。その細部の選びかたにおいて、子規はおそるべくデモクラティックだ。(「子規の根源的主題系」、『子規全集 第十一巻 随筆一』「解説」講談社、一九七五)

 この大江氏の「解説」については第八章で詳述するが、本書において使用する「デモクラティック」という用語は、この認識をふまえている。
 まず第一に、大江氏の言う「デモクラティック」とは、自分「自身を綜合的、全体的に呈示する」、子規の「独自な態度」のことである。第二に「自分の主体がかれ自身の精神と肉体をもふくめて、あらゆることどもを相対化する、ということ」である。すなわち、言語使用の「主体」としての子規が、自らの「精神」の在り方や「肉体」の在り方をも含めて、全てを「相対化」して言語化するために、世界の「ありとあることどもについてデモクラティックになる」ことができると、大江氏はとらえている。そして第三に、こうした「デモクラティック」な「人間の眼」には「世界」が「全体的、綜合的なかたちをあらわ」し、そうであるがゆえに、「あらゆる他者にたちに対して」「全体的、綜合的な姿をいかにも自然にあらわすことができる」と大江氏は把握している。「愚陀仏庵」から子規庵に場所を移した句会が、そうした「デモクラティック」な実践の始まりであったのである。
 子規庵で開かれた句会では、参加者一人ひとりが句を作って発表し、他の参加者からの多様な批評にさらされる。一回一回の句会における、句を作り批評をし合い、その批評に基づき一度出来た句を書き直すという、きわめて行為遂行的な言語の交わし合いの場において、新しい俳句をめぐる文法が生成されていった。だからこそ年初から句会を開いた一八九六(明治二九)年が、新しい俳句の誕生を告げる年になりえたのである。そして、東京根岸の子規庵の句会に、漱石も松山から投稿者として参加し続けていた。
    −−小森陽一『子規と漱石 友情が育んだ写実の近代』集英社新書、2016年、93−94頁。

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