覚え書:「老人ホームで生まれた〈とつとつダンス〉―ダンスのような、介護のような [著]砂連尾理 [評者]宮沢章夫(劇作家・演出家)」、『朝日新聞』2016年11月27日(日)付。

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老人ホームで生まれた〈とつとつダンス〉―ダンスのような、介護のような [著]砂連尾理
[評者]宮沢章夫(劇作家・演出家)  [掲載]2016年11月27日   [ジャンル]医学・福祉 社会 
 
■からだが接し、生まれる関係

 京都舞鶴にある特別養護老人ホーム「グレイスヴィルまいづる」で著者が取り組んだワークショップ〈とつとつダンス〉の記録だ。その作業を通じ著者があらためて、わたしのからだと、見知らぬ人のからだが接し、そこに生まれる関係を発見する経過だと読める。
 ここで語られる「とつとつ」は、「訥々(とつとつ)」のように、辞書にある言葉とは異なる。かといって、特別な言葉ではなく、自分たちの創作をもっとも表現する音なのだと、ワークショップの体験、ダンスの行為、そして作品化までの時間を通じて語られる。
 わたしたちに必要なのはこうした言葉だ。
 たとえば、それは、小児結核や薬害スモンによって、ほとんどからだを動かすことの出来ない岡田邦子さんとのダンスが描写される記述のなかにある。
 「岡田さんの、ほとんど動いてないのに、明らかにそこから立ち上がるいろんなものを見せる身体そのものの不思議な奥深さ。」
 左手で電動車椅子を操作することしかできず、ほとんど動けない岡田さんが、著者と踊るワークを通じ、いままで動かしたことのない右手を伸ばすと、踊る相手、つまり著者のからだを突然、触ろうとしたという。それが、『とつとつダンス 愛のレッスン』に結実する。著者は、ダンス経験もなく、からだも動かせない岡田さんのものすごい存在感に驚きこう記す。
 「あらためて踊りやダンスというのは、目に見える身体の動きだけではないということを、岡田さんとのセッションで教えられた。」
 コンテンポラリーダンスを見てもよくわからないという声は多い。けれど、私が見ている世界もむつかしい。日常にもある「わからないこと」をいかにして安易なルールでわかったつもりにならないか。それで表現は、ようやく表現になる。著者は〈とつとつダンス〉と名付けた踊る行為によってわからないもの、気がつかないモノの声を聞く。
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 じゃれお・おさむ 65年生まれ。ダンサー・振付家。ソロ活動のほか、障害のある人や高齢者とダンスを制作。
    −−「老人ホームで生まれた〈とつとつダンス〉―ダンスのような、介護のような [著]砂連尾理 [評者]宮沢章夫(劇作家・演出家)」、『朝日新聞』2016年11月27日(日)付。

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http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2016112700010.html








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