覚え書:「書評:狂うひと 「死の棘」の妻・島尾ミホ 梯久美子 著」、『東京新聞』2016年12月11日(日)付。

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狂うひと 「死の棘」の妻・島尾ミホ 梯久美子 著

2016年12月11日
 
◆資料を博捜し新たな「神話」
[評者]与那覇恵子=文芸評論家
 完璧な喪装で身を包んだ女性のポートレート。梯はその写真から男が死者となってもなお強い所有欲を放つ女を感受し、強く惹(ひ)かれる。その女性は島尾敏雄『死の棘(とげ)』の妻ミホのモデル、島尾ミホである。『死の棘』は、夫の情事を彼の日記で読み精神を病んだ妻と、夫の狂乱を描き「私小説の極北」と高く評価され、ベストセラーにもなった。梯は、ミホの『海辺の生と死』『祭り裏』にも「驚くべき美しさとおそろしさ」を感じ、作家島尾ミホにも注目する。
 二〇〇五年に評伝を書くことを肯(うべな)い、インタビューも受けていたミホだが、梯のある行動をきっかけに、突然会うことや評伝の話を拒み、〇七年に死去した。没後、長男伸三は「きれいごとにはしないでくださいね」と書くことを承知し、残された膨大な資料を託したという。島尾夫妻の未発表の日記や手紙、草稿、メモなどを参照しつつ、既発表作品と、現実生活での微妙な差異を徹底的に読み込み、ミホの「正体」に迫っていく。
 文字情報からだけでは不明な点は現地に足を運び、さらに関係者にも話を聞く。全六百六十六ページの重厚な書だが、ミホの「狂い」を決定的にした日記から消えた「十七文字」、強いインパクトを与えるも存在があやふやな情事の相手、緻密な筆致で追う謎解きの面白さもあり、一気に読ませる。ミホを追うことで「全身小説家」であるような敏雄の性癖もあぶり出している。
 本書はまた、言葉(文字)に対する揺るぎない信頼を持つ者たちの、自分の書き残したものにこそ真実が宿るといった、言葉を巡る壮絶な覇権争いをも浮かびあがらせる。敏雄にとっての審(さば)きの書『死の棘』を、ミホは古代の神話に倣い「絶対的な夫婦愛」の書に変更しようとした、と梯は記す。女神化を「欲望」したと。梯も書くことで二人のあらたな「神話」化を狙ったといえよう。作家像の破壊と再生の創造過程が見える刺激に満ちた書である。
 (新潮社・3240円)
 <かけはし・くみこ> ノンフィクション作家。著書『散るぞ悲しき』など。
◆もう1冊
 島尾ミホ著『愛の棘(とげ)』(幻戯書房)。戦時下の奄美での恋と結婚、その後の夫婦の暮らしを回想し、島言葉豊かにつづったエッセー集。
    −−「書評:狂うひと 「死の棘」の妻・島尾ミホ 梯久美子 著」、『東京新聞』2016年12月11日(日)付。

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