覚え書:「憲法を考える 主権、この悩ましさ 東京大学准教授・小島慎司さん」、『朝日新聞』2016年09月14日(日)付。

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憲法を考える 主権、この悩ましさ 東京大学准教授・小島慎司さん
2016年9月14日


「自分たちの意見や決定が常に正しいわけではないという自覚を、主権者として持つべきです」=早坂元興撮影
写真・図版
 「主権を取り戻す」「主権国家にふさわしい国に」――。国民投票欧州連合(EU)からの離脱を決めた英国で。米国の「押しつけ」であることを理由とする改憲論議がある日本で。高らかに叫ばれる「主権」をどう扱うべきか。フランス革命に影響を与えた人民主権論の父、ルソーを手がかりに、気鋭の憲法学者が語った。

 ――「イギリス人民は、自分たちは自由だと思っているが、それは大間違いである。彼らが自由なのは、議員を選挙するあいだだけのことで、議員が選ばれてしまうと、彼らは奴隷となり、何ものでもなくなる」。18世紀のルソーの言葉ですが、現代に通じるものがある気がします。

 「イギリスに限らず、代議制は元々貴族制的なものでした。たとえ議員を選挙で選んでも、選挙が終われば、人民はその『貴族』の決定に服するだけのいわば奴隷になってしまうということですね」

 「しかも、人民の側にも奴隷でも構わなかった事情がある。当時はグローバルな商業が発達しつつあり、人々は政治より、商売や私生活の充実に関心を向けがちでした。ルソーの言葉は、今風にいえば、議員や官僚に政治をお任せにしてはならないという警鐘だったのですが、お任せにしたくなる事情も踏まえていたのです」

 ――「お任せ」とは対照的に、6月の英国の国民投票でのEU離脱派のキャッチフレーズは「主権を取り戻す」でした。「主権」という言葉が使われる文脈は、どうも熱くなってしまいがちです。

 「主権は、自分たちが決める、しかも決めたことが最終的な決定だと思わせるので、熱を帯びるのでしょう。だからこそ、主権を持ち出す場面やイメージについて、まず共通の土台をつくり、冷静に論じる必要があります」

 「その意味で、ルソーの考えは物差しになります。ルソーは人民が万人を従わせる最高の権力、つまり主権を持つと考えました。主権者としての人民の意志は、人民が自らと結ぶ社会契約によって表明されるもので『一般意志』と呼ばれ、常に正しく、政府や議会はそれに従うべきだとしています」

 「一方、人々が自分たちの利害を追求している意志のことを『個別意志』と呼びました。こちらは利己的であることも、間違うこともある。現代でいえば、皆のことよりも、自分や会社のことを重んじた考えといえるでしょう」

 ――個別意志はイメージしやすいのですが、一般意志とはどういうものでしょうか。

 「一般意志が何かより、何がそうでないかから考えてみましょう。特定のだれかのためだけの利害に関わることであれば、公平な一般意志の対象になりえません。例えば、増税の先送り。それで助かるのは今の世代の大半の人たちですが、将来世代の負担を忘れているとしたら、あくまでも個別意志であって一般意志とはいえません。中長期的な視点に立って国民全体の利益を考えることが、一般意志といえます」

 ――なぜルソーは一般意志の大切さを説いたのでしょうか。

 「ルソーは、代議制の議会であっても主権者の意志、今でいう憲法の骨格に従って行動しなければならないと考えていました。主権者が議会を絶えずウォッチしておかないと、議会が主権者のように振る舞って主権を奪い取るという、『主権の簒奪(さんだつ)』が起きてしまう。だからこそ、ルソーは代議制に懐疑の目を向けていました。人民主権をとる理由の一つは政府や議会の専横の防止にあり、ルソーがそのことを絶えず意識していたことは知っておくべきです」

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 ――専横の防止。このルソーの問題提起を、現代の日本社会はどう受け止めたらよいでしょうか。

 「残念なことですが、日本の議院内閣制が次第に、政府や議会にあたかも主権者のように振る舞わせる方向に進んでいます。もともと貴族層はいなくなり、参議院であっても政党の影響が強く、時の政権与党の力により物事を独裁的に決めやすい状況にあります」

 「しかも、小選挙区中心の選挙制度にきりかえ、従来のような派閥がなくなり、与党内部の対抗力が衰え、首相の権力が強くなりました。専門性ゆえに内閣であっても容易に従わせることができなかった日本銀行内閣法制局の人事への政治介入も進みました。マスメディアに対する牽制(けんせい)も含め、対抗勢力がつぶされ、主権者でないはずの政府が主権者のように振る舞いがちになった。行政府の長である安倍首相が、『私は立法府の長』と国会で発言したこともあながち偶然ではないでしょう。ルソーが懸念した主権の簒奪が起こりやすい状態になっています」

 ――ほかにも主権の簒奪の具体例はありますか。

 「民主党菅直人元首相がかつて語ったような、『議会制民主主義は期限付きの独裁』との言葉に表れた、選挙で民意を得れば一定期間は何をしてもかまわないという発想が典型的です。選挙で得た民意は大きく見えますが、政府や議会も有権者も、個別意志の集合体に過ぎないと見るのが素直です。自分たちの意志を一般意志と勘違いしてはいけません」

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 ――主権の簒奪が起こらないよう、どんな視点で政治をウォッチする必要がありますか。

 「政府内外のアクターが自立性を発揮できる、政治空間の多元性の確保が大切です。個々の官僚は政府に雇われる身で、経済界も利害を考えるから献金を仲立ちにしてまで与党と結びつく。マスメディアも大学も、情報提供にせよ補助金にせよ、政府と関係を保ちながら活動しているのでしょう。でもそれらの組織や人々には政府からある程度自立しようとする心意気もあるはずです。彼や彼女らの政府からの自立を支える環境作りが、市民社会には求められます」

 「天皇が先日、象徴としての活動を重視し、生前退位の意向を事実上示しました。この問題は、高齢だからそろそろ休ませてあげては、という次元とは別の視点からも考える必要があります。天皇に政治的権能はありませんが、その存在が政治全体の均衡を保たせている面があるからです。政治の多元性を維持する仕組みとして、象徴天皇制を安定的に持続させることの意味と要否も、併せて議論すべきではないでしょうか」

 ――政治の多元性の維持という点では、安保法の強引な審議のあり方に若者や多くの人々が街頭で声を上げたことも注目されます。

 「世間に思われているほどルソーは民主主義者ではありませんが、国民が自らアクターとなり、デモ行進などの回路を使って主権が奪い取られるのを防ぐことは、彼の考えの枠組みとも合っています。安保法制を整備する政府や議会が、憲法の骨格部分に違反していないかをウォッチしたととらえられるからです。ただ、注意すべきは、デモを主権の行使とみることには危険な面があるのです」

 ――どういうことですか?

 「『主権者の声を聞け』と訴えることは自分が主権者であることの自覚を持つ点で大切ですし、だからこそ仕事や私事に忙しい中でも政府や議会をウォッチする気になります。ところが、主権者だから自分たちの声を聞くべきだという論理には重大な落とし穴もあるのです。主権は、専横防止のための空間を作るのですが、主権自体は非合理的な存在だからです」

 ――「主権」が非合理とは?

 「主権者国民の自己決定だといえば魅力的です。でも、なぜ主権者の決定に従うのかと問われ、主権論は『主権者だから』と答えることになるのですが、これは『なぜ彼を愛しているのか』と尋ねられ、『彼だから』と答えるようなもので回答になっていません」

 「ルソーが一般意志が『正しい』というのは、人民が理性的で正しい答えを知っているという意味ではありません。人民が適切に決定するためには、人民の性格を把握した稀有(けう)な指導者がいることを前提としたのです。そんな存在は現代では考えられません。異なる意見に触れ、自分の考えが正しいかどうか、説得し説得されつつ、日常の政治過程で粘り強く答えを探していくほかありません」

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 ――参院選の結果、いわゆる改憲勢力が衆参両院で「3分の2」を超え、憲法改正が政治課題になりつつあります。主権者の意志を示すべきだという、国民投票を自己目的化した議論も出ています。

 「それこそ主権を持ち出し過ぎることの危険な一面です。国民は主権者なのだからとにかくその主権者に国民投票で決める機会を一度与えるべきだ、対案提出さえ拒むのは主権者をないがしろにするものだというのは、主権がときに非合理的であることを軽視した主張だと思うのですが、『我々が主権者だ』との叫びはそういう主張の誘い水になってしまいます」

 「主権者と思えばこそ政府や議会をウォッチする気にもなるという意義は重ねて強調する必要がありますが、主権者が決めたと思われれば後戻りもできず、かといって主権者の決定が合理的になされる保証はない。安易な主権行使の誘い水にならない賢慮も、私たちは身につけるべきだと思います」

 (聞き手 編集委員・豊秀一)

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 こじましんじ 1978年生まれ。専門は憲法学で、ルソーの主権論など国民主権原理に詳しい。著書に「制度と自由」(岩波書店)など。
    −−「憲法を考える 主権、この悩ましさ 東京大学准教授・小島慎司さん」、『朝日新聞』2016年09月14日(日)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12557463.html


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