日記:地方という幻想

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地方という幻想
 私たちの劇団青年座は、一九九五年夏、沖縄県与那国島に一ヶ月ほど滞在して稽古をし作品を作った。こういった活動を滞在型制作=アーティスト・イン・レジデンスと呼ぶ。いまでこそ、こういった作品制作方法は珍しくないが、当時の私たちの活動は、特に演劇の世界でのアーティスト・イン・レジデンスのはしりと言ってもいいものだった。
 あれから二十年近く経っているから、いまはどうか分からないが、当時、与那国島には本屋さんがなかった。雑貨屋に漫画雑誌は置いてあるのだが、それも少年マガジンとかジャンプとか、確実に売れるものしか置いていない。週刊誌の類さえ売っていないのだ。
 本を買おうと思うと、人びとは四十分かけて飛行機に乗って、石垣島まで行かなければならない(おそらく実際には、多くの人が雑誌などは契約して購読し、配達してもらっているのだろうが)。しかし、石垣島の書店にも私の本は置いていない。いや、今なら置いてあるかもしれないが、当時は置いてはいなかった。私の本を手に入れようとすると、さらに飛行機に乗って一時間かけて、那覇まで行かなければならない。
 では、与那国の人は私の本を読まなくていいのか? まぁ、「いい」と言われればそれまでなのだが、そうではないと考える人がいるから、私たちは、三千館以上の公立図書館というものを全国に建ててきたのだろう。本を読むという権利は、憲法で保障された文化的な生活の一部を為すと考えられるからだ(残念ながら与那国には、当時も今も図書館がない。しかし、数年前から沖縄県立図書館が移動図書館のサービスを行っている)。もしも、こうした公的な施策がなければ、地方ほど、流通と在庫のコストがかかるので、「すぐに、確実に売れるものしか置けない」という状態に陥ってしまう。厳しく言い換えるなら、「辺境の人々は少年ジャンプだけ読んでいればいい」という状態になる。「残ったものだけが文化だ」という橋下市長の言葉を借りるなら、ここでは、「届いたものだけが文化だ」ということになってしまう。市場原理は、辺境ほど、末端ほど荒々しく働くからだ。
 私たちには、「田舎はいいのだ。のんびりしていて暮らしやすく人情も厚い」といった地方に対するある種の幻想がある。しかし、地方都市ほど、いったん市場原理が入って来ると無駄を許容できず、効率優先の社会になってしまう。私たちは、地方に対するこういった幻想を捨てるところから出発しなければならない。
    −−平田オリザ『新しい広場をつくる 市民芸術概論綱要』岩波書店、2013年、25−27頁。

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