覚え書:「売れてる本 日本人の9割が知らない遺伝の真実 [著]安藤寿康 [文]市川真人(批評家・早稲田大学准教授」、『朝日新聞』2017年01月22日(日)付。

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売れてる本
日本人の9割が知らない遺伝の真実 [著]安藤寿康
[文]市川真人(批評家・早稲田大学准教授)  [掲載]2017年01月22日
 
■冷静な観察と温かな対処示す

 個人的な話で恐縮だが、空間把握が絶望的に下手だ。何度通った道でも向きが違えばまるでわからぬ。俯瞰(ふかん)的な方角の把握や動画的な空間の記憶ができる人もいようが、私のそれは静止画像の連続で、同じ道でも往路と復路で同一性が見失われる。
 かように同じ「人間」でも個々の向き不向きがあるのは当然で、そこには努力や環境だけでなく遺伝的要素が働いている、と考えるのが著者たちの「行動遺伝学」だ。遺伝的資質の共通する一卵性や二卵性の双生児たちを追うなどして、個人の能力に対して遺伝と環境がそれぞれどう作用するかを調べてゆく。
 大事なのは、そうした分析が差別や抑圧としてでなく働くことだ。例えば先のような資質(の遺伝的?欠如)を持つ私が運転の仕事を切望したとして、単に不向きと断じずに、不足する能力を別で補う方法や、願望の本質を分析して所持する能力に向くカタチにずらすこと(例えば楕円〈だえん〉軌道を周回するレーサーに?)。遺伝について考える時に大事なのは、私たちの人生を、主体性や自由を損なわずに最適化できるかどうかである。
 遺伝をめぐる問題設定は、ときに「隠された真実」的な切り口で乱暴な抑圧や差別の口実ともなる言説を生み、社会に拡大する格差や対立を断念・肯定して楽になりたい無意識はそれらを歓迎しさえする。平等主義と現実の不平等との溝をどう埋めるかは、「上から目線」の忌避や、スキャンダルや「しくじり」の謝罪を喜ぶ風潮と同様に今日の、そして民主社会の常なる宿痾(しゅくあ)だ。だからこそ遺伝の問題には冷静な観察とそれに基づく合理的かつ温かな対処が一対で提示されねばならぬ。
 その意味で、(環境を与える者が)「どんな親かということが、子どもの個人差にはほとんど影響がない」とし、遺伝の認識を差別ではなく可能性の発見と確認として、評価軸の多様化や個人の努力を超えた社会保障の必要を説く本書は、今日の社会に必要な一冊であるだろう。
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 SB新書・864円=2刷1万9千部
 16年12月刊行。格差社会と遺伝の関係が、著者の研究成果を引用した一般書などで話題に。「行動遺伝学の誤解を防ぎたかった」と担当編集者。
    −−「売れてる本 日本人の9割が知らない遺伝の真実 [著]安藤寿康 [文]市川真人(批評家・早稲田大学准教授」、『朝日新聞』2017年01月22日(日)付。

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http://book.asahi.com/reviews/column/2017012200001.html


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