覚え書:「寂聴 残された日々:17 バカは私 恨みを繰り返さぬために」、『朝日新聞』2016年10月14日(金)付。
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寂聴 残された日々:17 バカは私 恨みを繰り返さぬために
2016年10月14日
1922(大正11)年5月15日生まれの私は、ただ今、満94歳である。防空壕(ごう)で焼死した母は51歳だったし、父は56歳、姉は64歳で、共に病死している。短命の家系と信じこんでいたが、近頃、会う人ごとに別れ際には、
「どうかいつまでもお元気で」
「100歳まで生きて」
と言われる。
さすがに身体は傷んできて、ここ、2、3年は、背骨の圧迫骨折から始まり、胆嚢癌(たんのうがん)まで見つかったものの、いつの間にやら持ち直し、寝たきりになるかと思われたのが、今では家の中では杖もなしにスタスタ歩いている。外では用心のため、まだ車椅子を用いているが。
そんな私を見限らず、このような短文を書かせてくれる新聞や雑誌もあれば、連載小説を始めさせてくれた文芸誌さえある。振り返ってみても満94歳で、これほど仕事をし続けた作家はいないだろう。
それは感謝すべきだけれど、ここへきて、老体に似合わぬみっともない舌禍事件を起こしてしまった。
*
ある日、日本弁護士連合会から電話があり、
「福井で人権擁護大会が開催される。その1日目で死刑廃止のシンポジウムを行う予定である。そこへビデオメッセージを送ってほしい」と言ってきた。私が日頃、「死刑廃止」について関心を持ち、日本の現死刑制度に批判的なのを承知の上の要求である。私は即、メッセージの収録に応じた。
「……人間が人間を殺すことは一番野蛮なこと。みなさん頑張って『殺さない』ってことを大きな声で唱えてください」
と言った。その後に
「そして殺したがるバカどもと戦ってください」
と結んだ。
*
私の気持ちは、殺したがっているのは、今もなお死刑制度を続けている国家や、現政府に対してのものだった。常日頃、書いたり、口にしたりしている私の死刑制度反対の考えから、当然、今も世界の趨勢(すうせい)に遅れ、死刑制度をつづけている我が国の政府に対して、人権擁護の立場から発した意見であった。バカという言葉は94歳の作家で老尼の口にする言葉ではないと、深く反省しているものの、発言の流れからしても「バカども」は当然、被害者のことではないと聞けるはずである。でなければ、言葉に敏感な弁護士たちが、そのまま流すはずはないだろう。これまでも私は文学者としても出家者としても被害者のために論じ、行動してきている。過去の私の言行を調べてくれればわかるはずである。
それを私が犯罪被害者たちをバカ呼ばわりしたととられ、ネットで炎上して、私への非難が燃え上がっているという。
秘書から炎上を知らされた時、真っ先に浮かんだのは「もの言えば唇寒し秋の風」であり、「だから長生きは厭(いや)なんだ」であった。そんな誤解を招く言葉を94歳にもなった作家で出家者の身で、口にする大バカ者こそ、さっさと死ねばいいのである。耄碌(もうろく)のせいだなどと私は逃げない。お心を傷つけた方々には、心底お詫(わ)びします。
「恨みをもって恨みに報いれば永遠に恨み尽きることなし」という釈迦の言葉を忘れないままに。
◆作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんによるエッセーです。原則、毎月第2金曜日に掲載します。
−−「寂聴 残された日々:17 バカは私 恨みを繰り返さぬために」、『朝日新聞』2016年10月14日(金)付。
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http://www.asahi.com/articles/DA3S12606586.html