覚え書:「インタビュー イスラムと欧米 イスラム思想家、タリク・ラマダンさん」、『朝日新聞』2016年10月21日(金)付。

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インタビュー イスラムと欧米 イスラム思想家、タリク・ラマダンさん
2016年10月21日

 イスラム教徒はアイデンティティーを堂々と主張せよ――。そう訴えるイスラム思想家が、欧州の若い教徒の間で大きな人気を呼んでいる。エジプト系スイス人のタリク・ラマダン氏だ。ただ、相次ぐテロなどで欧州の価値観とイスラム教との摩擦が懸念されるときだけに、対立をあおることにならないか。来日を機に聴いた。

 ――欧州で生まれ育ったムスリムイスラム教徒)の若者がしばしば過激派にかかわり、その社会統合が問題になっています。「ムスリムも欧州の価値観を受け入れるべきだ」という批判が渦巻くなか、あなたはむしろ、ムスリムが自らのアイデンティティーを主張することこそ重要だ、との立場をとっていますね。

 「欧米とイスラムとの関係には『寛容の精神』が大切だと、しばしば言われます。でも、『寛容』とは、支配する人がされる人の行為を見過ごすこと。上下関係に基づいており、植民地時代の名残に他なりません。何より必要なのは、欧州とイスラムとの対等な関係です。相手を認め合い、相互に尊重し合う精神を持つことです」

 「植民地の人々を、支配者はしばしば『いい人』『悪い人』に分類してきました。いい人とは支配を受け入れる人、悪い人とは抵抗する人。こんな単純な善悪の論理からは、相互尊重の精神は生まれません。『穏健派はいい。ビンラディン容疑者は悪い』などと分類するのでなく、ムスリムがいかに多様かを見つめるところから始めるべきです」

 「相互尊重の精神は、現実には根付いていません。フランスで、イスラムと聞いて70%の人が暴力を思い浮かべる。英国では65%がムスリムに疑いの目を向けている。米国でトランプ氏が『ムスリムを入国させるな』と発言したら支持率が上がる。イスラム教への印象はあまりに否定的。いかに信頼関係が失われているかがわかります」

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 ――理由はどこにありますか。

 「共生を目指す代わりに、人々の恐怖心をあおることで自らを利そうとする政治家の責任は否定できません。同時に、ムスリム自身にも原因がある。自らを被害者と位置づけていてはだめなのです。孤立するのでなく、社会に参加しなければなりません。被害妄想でなく、市民意識を持つべきです」

 「現にその流れが各地で生まれています。ムスリムの移民2世、3世が市長に就任したり、自治体行政に参加したりして、市民としての存在感を示し始めています」

 「欧州にも米国にも日々の生活を静かに営む何百万人ものムスリムがいます。その姿を見ないで、暴力的なごく一部の人々を指して『ほら見ろ、彼らは欧米でうまくやっていけていないじゃないか』と言うのは不当です」

 《ラマダン氏は、エジプトのイスラム組織「ムスリム同胞団」創設者ハサン・アルバンナーを祖父に持つ。この家系が、ムスリム世界での影響力を支えるとともに、「欧州の市民意識よりもムスリムとしての自覚を促そうとしているのでは」との疑念も招いてきた。》

 ――若者たちは、本当に欧州や米国の市民としてのアイデンティティーを持っていますか。むしろ、ムスリムとしてのアイデンティティーの方が強く、それが市民としての自覚を妨げているのではないでしょうか。

 「ムスリムであることと欧州人であることとの間には、何の矛盾もありません。私を例にしても、アイデンティティーは一つではありえない。男であり、エジプト系であり、ムスリムであり、スイス国籍であり、大学人でもあるわけです。内面の信念を語る際にはムスリムとしてのアイデンティティーがまず先に立ちますし、選挙に行く際には何よりもスイス人だと感じます。何者であるかは状況次第です」

 ――でも、欧州社会とイスラム教徒との摩擦は現実に存在します。最近では、体を隠すムスリム女性の水着「ブルキニ」の是非を巡ってフランスで論争が起きました。

 「『ブルキニ』の名称は、アフガニスタンタリバーンが女性に強要するベール『ブルカ』に由来します。実際には、ブルカとは何の関係もない単なる水着。それに、タリバーンを連想させるような名を付けていたことで、脅威があおられているのです」

 「これは、アイデンティティーの摩擦ではなく、ムスリムが存在感を示してきたことの証左にすぎません。彼らの存在が可視化され、『我ここにあり』と主張できるようになった。失敗の印でなく、逆にムスリムが欧州社会に溶け込み、成功した証しです」

 ――欧州社会、特にフランスでは、多くのムスリムが世俗的な生活になじんでいます。イスラム教のアイデンティティーを保て、とのあなたの呼びかけは、宗教回帰を目指す試みになりませんか。

 「違います。ムスリムムスリムであり続けよ、といっているだけです。彼らがイスラム教から離れることを望む人が『イスラム回帰だ』と騒いでいるだけではないでしょうか」

 《ラマダン氏は、研究者としてより、若者に人生観や心構えをわかりやすく説く雄弁家として、名を上げてきた。特にフランス国内で、ムスリムの若者たちが開く集会の講師として著名で、政治的な野心をおしはかる声もある。》

 ――欧州に住むムスリムの若者の間でカリスマ的な人気を誇っていますね。

 「私のフェイスブックには200万の『いいね!』が集まります。それは、私が長年一貫して『西欧人であると同時にムスリムであることは可能だ』と訴え続けているからでしょう。私は、自らが西欧文化に染まっていることも隠しません。自らを西欧的ムスリムと位置づけますから」

 ――不満を抱く人々を結集するあなたの手法は、米国のトランプ氏やフランスの右翼ルペン氏とは主張が異なるものの、ポピュリストに近いものも感じます。

 「人々を動員する政治的な言説を私が展開しているのは確かです。実際、私は政治的な人間です。ただ、それは市民なら誰にでも政治的立場があることと同じです。私が政界に入ることはありません」

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 ――一方で、さまざまな国の政府と対立していますね。

 「2000年代、ブッシュ政権下の米国から6年間にわたって入国禁止処分を受けました。サウジアラビアなどイスラム諸国を中心に9カ国からも、入国を禁止されていました。それは、市民に自由を与えない政府を私が批判するからです」

 「旧植民地に対するフランスの政策についても、私は極めて批判的です。フランスからは、テロ対策もからんで数カ月間入国を禁止された末に、裁判に勝ちました」

 「フランス人は、自国の社会問題をイスラム教と結びつけたがります。でも、失業や学校崩壊など移民街が抱える問題は、イスラム教と何の関係もない。単に問題が解決できないから、口実を探しているだけです。彼らは私を『二枚舌だ』などと批判しますが、それは、旧植民地側の人間である私が対等な立場で話そうとすることを気に食わないと思うからです」

 ――滞在してみて、日本をどう見ていますか。

 「礼儀正しさ、羞恥(しゅうち)心、家族重視。ムスリムと日本人は多くの面で似ていますね」

 「インドネシアバングラデシュ出身者が増え、日本社会でムスリムの存在感は高まっています。日本人はイスラム教に対して恐れを抱かず、心を開き、信頼関係を築かなければなりません」

 「欧米で今起きている出来事は、日本でもきっと起きます。今後15年間の日本は、これまでの50年間以上に外に向けて開かれる。今から準備を始めるべきです」

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 Tariq Ramadan 1962年スイス・ジュネーブ生まれ。英オックスフォード大教授。ブリュッセルで民間組織「欧州ムスリム・ネットワーク」を主宰。

 ■奉じる「自由」の不自由さ 東京大学先端科学技術研究センター准教授・池内恵さん

 西欧が自由と平等を掲げる以上、イスラム教にも様々な権利を与えるべきだと考える人は多いでしょう。では、そのイスラム教は西欧のような自由を認めているでしょうか。イスラム社会で他の宗教を信じることが許されますか。

 イスラム教の教義が主張しているのは、正しい宗教、つまりイスラム教を信じる「自由」です。ユダヤ教キリスト教などは、間違いはあるが許容できる宗教として、信者がイスラム教の優位性を尊重する限り存在が認められますが、多神教は明確に排撃されます。実際、中東諸国で仏教寺院を建てることはできません。イスラム教の信仰を捨てる自由も認められない。欧州で「少数派の権利を守れ」と主張するイスラム教徒が、イスラム教が多数派の社会では「少数派や異教徒は神が決めた区別を受けるのは当然だ」と信じているところにズレがあります。

 ブルキニ問題も、単に服装の自由とのみ見るべきではありません。背景にあるのは「男性は身内の女性を所有し、保護する義務と同時に監督・支配する権利を持つ」というイスラム社会に根強い発想です。イスラム教のもとで、女性と男性は、平等ではありません。ブルキニを着る「自由」は、西欧社会にイスラム的な男女・家族関係を持ち込みます。

 その点をムスリムに指摘すると「イスラムへの差別だ」と反論します。でも、ムスリムイスラム教をすり替えてはなりません。近代的な人権規範の下では、人としてのムスリム差別は許されませんが、イスラム教の宗教規範を批判する権利は認められるべきです。

 イスラム教の不平等や不自由な面に、イスラム思想家は言及しようとしません。ムスリムの自由を守るふりをして、自由を放棄させる思想を欧米社会に植え付けようとしている。そう見られても仕方ないでしょう。

 この問題は、「自由な社会は、自由を否定する思想も受け入れてなお維持できるのか」という普遍的な問いかけを含んでいます。ただ、欧州のリベラル派はそのことに気づいていない。自らが奉じる「自由」という言葉が普遍的であるという観念に惑わされ、西欧思想と同じ意味でイスラム教も自由で平等な思想だと勘違いしているからです。

 (聞き手はいずれもGLOBE編集長・国末憲人)

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 いけうちさとし 1973年生まれ。専門はイスラム政治思想、中東地域研究。「イスラーム国の衝撃」など著書多数。
    −−「インタビュー イスラムと欧米 イスラム思想家、タリク・ラマダンさん」、『朝日新聞』2016年10月21日(金)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12617922.html





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