覚え書:「時事小言 反グローバリズム 経済停滞が生む悪循環 藤原帰一」、『朝日新聞』2016年10月19日(木)付夕刊。

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時事小言 反グローバリズム 経済停滞が生む悪循環 藤原帰一
2016年10月19日夕刊

 アメリカ大統領選挙共和党候補トランプ氏の敗色が濃くなっている。選挙の情勢が厳しくなるほど、氏の主張は急進化した。遊説先では、グローバル経済とマスメディアと民主党が一体となって選挙に工作を加え、トランプ氏を負かそうとしている、これは不正な選挙だなどと述べている。

 ほとんど被害妄想のような議論だが、トランプ氏を支持するアメリカの有権者が4割前後に上ることは無視できない。大統領選挙の結果はわからないとしても、トランプ氏を支持した人々は消えるわけではない。

 トランプ氏は、世界各国の企業からアメリカの国内市場を防衛する必要を繰り返し訴え、いま各国でその承認が審議されている環太平洋経済連携協定(TPP)ばかりでなく、既に締結されて久しい北米自由貿易協定(NAFTA)にも反対している。このような保護貿易の主張は、アメリカ政治では伝統的に自由貿易を支持してきた共和党の候補としてはめずらしいといってよい。

 トランプ氏だけではない。クリントン氏と民主党候補を争ったサンダース氏も貿易の規制を訴えた。イギリスでは、欧州連合(EU)からの離脱を求める国民投票の際にも自由貿易の規制と国内市場の保護が訴えられた。

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 なぜだろうか。なぜ自由貿易、さらにグローバリズムに反対する声が生まれたのだろうか。

 かつて自由貿易リベラリズムの中心であった。アダム・スミスにさかのぼるまでもなく、貿易の自由化は経済成長を牽引(けんいん)し、さらに戦争が生まれる可能性も引き下げる効果もあると考えられていた。大恐慌以後のブロック経済の拡大が第2次世界大戦を引き起こす原因の一つになったという認識が、大戦後に貿易自由化を進める根拠になった。

 だが、どれほど経済全体の成長を促すとしても、自由貿易は犠牲を伴う。市場の自由化は国内における競争力のない経済部門を危機にさらし、雇用を奪い、経済格差を拡大する可能性があるからだ。第2次世界大戦後の諸国では、自由貿易という制度を受け入れながら、国内市場に対するさまざまな保護も行うという折衷的な政策がとられることになった。

 この折衷を突き崩し、貿易自由化と規制緩和を進めたのが、イギリスのサッチャー政権、アメリカではレーガン政権であった。従来は市場保護に傾きがちであったアメリカ民主党イギリス労働党も、ビル・クリントン政権とブレア政権のもとで規制緩和と貿易自由化を推し進めた。党派の違いを乗り越え、自由貿易規制緩和が共通する経済政策となったのである。

 政策としての自由貿易が拡大する背後には世界市場の拡大があった。米ソ冷戦終結後の世界では、先進工業国から新興経済圏への投資が進み、世界貿易が拡大を続けたからである。しかし、リーマン・ブラザーズ破綻(はたん)に発する世界金融危機は、新興経済圏に打撃を加え、世界貿易の成長を妨げ、貿易自由化の前提を揺るがしてしまった。

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 貿易自由化が実際に経済成長を促すとき、それに反対する声は比較的少ない。他方、経済が停滞すれば、貿易を自由化するインセンティブは減り、経済停滞の原因をグローバリズムに求める議論が力を得ることになる。イギリス労働党で左派のコービン氏が党首に就任し、アメリカ民主党予備選挙においてサンダース氏がクリントン氏を脅かした背景には、貿易を自由化しても経済成長をさほど期待できないという世界経済の現状があった。

 自由貿易の規制を求める声は、左派勢力ばかりでなく、あるいはそれ以上に、右派勢力にも広がった。イギリス保守党の右派から見れば、イギリス経済はEUの一員となることによって弱められているのであった。トランプ氏を支持するアメリカ国民にとって、NAFTAやTPPは外国企業にアメリカを売り渡す協定にほかならなかった。かつては貿易自由化を支持してきた保守勢力のなかにグローバリズムに反対する勢力が生まれたのである。

 私は保護貿易が合理的な政策であるとは思わない。すでにEU離脱の決まったイギリスがポンドの下落に悩まされていることに見られるように、アメリカやイギリスが市場や貿易の規制に走るなら、世界貿易はもちろん、アメリカやイギリスの経済も打撃を受けるだろう。トランプ氏を支持するアメリカ国民は、自分の首を絞めていると評するほかはない。

 だが、トランプ氏が落選したとしても、グローバリズムに反対する声は残る。経済停滞のもとで左派と右派を横断して反グローバリズムが広がり、それがさらに経済の停滞を拡大する。そのような悪循環が、いま、始まろうとしている。(国際政治学者)

 ◆月に一度、掲載します。
    −−「時事小言 反グローバリズム 経済停滞が生む悪循環 藤原帰一」、『朝日新聞』2016年10月19日(木)付夕刊。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12615784.html





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